発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 お母さんごめんなさい。名無しです

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   ストレスからアトピーがひどくなってしまいました

 

 

 

インターネットで「サポートセンター名古屋」とか「青木美久」とかで検索したら

青木さんがクリスチャンだとか「発達障害なぼくたちから」というブログがあることを発見した。

 

 

 

ブログを読んだら面白かった。

特に、ヒロさんという人が書く文章がバカバカしくていつも笑いながら読んでいた。

 

 

 

大統領は僕と年齢が近いなと感じたけれど、文章がとてもうまいので、引け目を感じた。

お母さんが鬱という病気で親の愛情をもらえなかったということがわかったのでかわいそうだと思った。

 

 

ヒロさんも大統領も青木さんもみんなひどいいじめを受けてきて、大変だったなと思った。

本当は小学校も、中学校も行きたかったけれど、行けなくなってしまったことは僕と同じだったのでうれしかった。

 

 

それと、ヒロさんのブログを全部読み返したら、この人は本当はバカじゃないんだとわかった。

バカなことばかりやっているけれど、それは障害のせいだということがわかった。

でも障害があるけれど、障害のせいにしないで一生懸命生きているのですごい人なんだということがわかった。

 

 

 

俊介さんは知っていたけれど、この人が10年間もひきこもっていた人だとは思えなかった。

とても優しい人なので、僕は好きだ。

 

 

 

僕も文章を書きたくなったので、書いて青木さんに渡したら、青木さんはそれを読んでちよっと悲しそうな顔をしたように思った。

「お母さんを殴ったんだよね。」

「お母さんのこと今でも憎んでるの?」

 

 

そう聞かれたけれど、答えたくなかった。

「1年間お母さんと離れて暮らしたけれど、今はどんな気持ちですか」

女性スタッフが俺に聞いてきた。

 

 

俺は答えようがなかった。

「俺は、17才の時母親を殴ったんだ。」

「今でもその時のことを思い出すと涙が出るよ。本当に心の底から申し訳ないことをしてしまったって思っている」と青木さんが言った。

 

 

 

無言の時間が長く感じられた。

学校に行かない俺を心配したお母さんが、俺に声をかけてくれた時のことを思い出したら涙がでた。

泣いたら鼻水も出た。そしたらスタッフの人がティッシュを渡してくれた。

 

 

顔を洗っておいでと青木さんが言ったので、顔を洗ったら今まで我慢していた感情が爆発してたくさん泣いてしまった。

 

 

一人になりたかったので、自分の部屋に帰った。

少し落ち着いたら、自分がどうすれば良いのかわからなかったので、青木さんに電話して聞いてみた。

 

 

「今、英語の勉強がんばっているでしょ。お父さん、お母さんもとても喜んでいるよ。

英語をもっと話したい夢に向かって頑張り続ければいいんじゃないの」

 

 

 

青木さんがいつも言っていた。心に思い浮かぶどんな言葉でも画用紙に書き留めてごらん。そして自分に素直になって文章を書いてごらん。

 

 

俺は文章が下手だ。

でも自分の言葉で書き殴ったら、なんか自分の本当の気持ちがわかった。

母親と父親にありがとうの気持ちを伝えたいので手紙を書きます。

 

 

俺の文章は誰かを励ますような文章じゃなくてごめんなさい。

面白くも書けなくてごめんなさい。

 

 

 

文章を読んでくれてありがとう。

もう書かないと思います。

これで気持ちが落ち着いたから。

さようなら。

 

 

フイリピンで引き続き英語の勉強に励みます。

 

 

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