就労支援施設の掃除です。排気ガスの汚れがスゴイいです
年があけて、僕の精神状態は不安定になってしまいました。
もう一度フィリピンに帰って、いろいろなことをしたいのです。
わがままかもしれませんが空白の期間の穴埋めをしない限り、前に進むことができないと感じていたのです。
母がサポートセンター名古屋の青木さんと話をしたのでしょう、青木さんから電話がかかってきました。
それは僕にとって驚くような提案でした。
「昔の君のような青少年を支援する側にまわりませんか」
「過去の経験がいかせる仕事です」
そんな考え方があったのか!!
「10年間ひきこもっていたというのはかなりの経験値だよ」
「その後2年間の支援でアルバイトとはいえ、就労もできたし、契約社員の話までいただくことができた。」
「そしてひきこもっている青少年に寄り添うことができると僕たちは見ているよ。」
僕がフィリピンにいる間に、たくさんの青少年が短期間でフィリピンに希望を求めにやってきました。
青木さんからその青少年達の支援をお願いされました。
支援といっても食事の時間に自分の話をするだけです。
中には僕との話で大学をやめることを思いとどまった少年もいたとのことです。
青少年達と接していると昔の自分を見ているかのようでした。
もちろんフィリピンに来られるぐらいよくなっているわけです。
すでにサポートセンター名古屋のスタッフたちが支援をしていて随分良くなった人たちと会ったわけです。
「ひきこもっている青少年が求めているのは学者や松岡修造のような情熱的な支援者じゃなくて、自分たちより先行く仲間なんだよ。」
「俊介さんは彼らのモデルになれるんだよ。」
頭をハンマーで殴られたような気がしました。
それじゃあ、僕が否定したかった10年間の過去は尊いものなんだ。
ひきこもった経験があるからこそ、同じような青少年の気持ちが少しはわかる。
そして回復への途上にいる僕は、うってつけの支援者なんだ。
おへその下あたりに力が入る気がしました。
「僕は必要とされているんだ。」
僕は先行く仲間。
彼らのモデルなんだ。
その後青木さんとは国際電話で何度も話し合いの時を持ちました。
大変お金がかかって申しわけなかったです。
そして、結論。
6月からフィリピンの大学に行きます。
大学をきちんと卒業する。
学びながら、就労支援施設の責任者も兼務する。
他のスタッフの補助として僕が今までやってきてもらったように、支援する青少年のお世話をする。
「よし、やってやろう」
感情の起伏に乏しい僕が興奮していることに自分が驚きました。
母に言わせると、「また一段とギァチェンジして加速した」らしいです。
母が言いました。
世の中には私たちのように親子で孤立している人が大勢いるよ。
お前はその人たちの希望になるんだね。
お給与が安くてもこんなに尊いお仕事はないよ(サポートセンター名古屋の批判じゃないです。十分に満足しています)
「今度日本に帰るときには胸を張って帰ってらっしゃい。」
「一人になって寂しいけれど、お母さんも頑張って働くよ。もうお前のことを心配しなくていいんだから、お母さんも楽しみを見つけるよ」
僕はそんな母の言葉にただ黙って頷くだけでした。
2015年2月、僕はフィリピンに1年少しぶりに帰ってきました。
騒がしい車のクラクション
排気ガス
どこから湧き出てくるんだと思うほどの大勢の人、人、人。
ここが僕の第二の故郷。
僕の新しい人生がスタートします。
同じように苦しんでいる彼らの為に生きていきます。
長らく僕の文章をお読みいただき、ありがとうこざいました。
新聞社さんからのインタビューに備えて文章を書く必要から、まとめてみました。
読み返してみて、今更ながら自分の文章力がないことに落胆します。
でもたくさんの人からのコメントをいただき、それを読み返すたびに「頑張ろう」という力が湧いてきます。
青木さんから、文章が書けるから定期的に書きなさいと言われました。
恥ずかしいですが、またお会いすることになると思います。
うれしいことがありました。
フィリピンで支援している青少年の中で、最近のこのブログを読んで自分の思いを書いてみた青少年がいます。
きっとみなさんからいただいたコメントを読んで励まされたんだと思います。
「励ます力」「つながる力」です。
さて、次回からあの男が帰ってきます。
なんでこんなに長いんだとイライラしています。
それほどヒロさんに取ってこのブログはかかせないものなのでしょう。
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マニラは夏本番、クーラーをかけて涼んでいます。
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