発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 僕のやる気スイッチはどこに? 俊介

 

f:id:smilehousejapan:20150407083642j:plain

バギオにて、日本でいうなら軽井沢?こういうの好きなんです

 

 

新聞社の取材をいつ受けてもいいように準備しておきなさいと青木さんに言われたので、今までのことをまとめる意味で文章を書いています。

 

 

十年間のひきこもりからどのようにして、社会復帰できたのか(僕はまだ社会に完全に戻れたという意識は持っていません)そのことをこのブログを読んでいる皆さんは知りたいのではと思いました。

 

 

昨日の続きです。

 

 

 

楽しいことをしたことは僕にとってとても意義あることでした。

しかし、その一方で失敗したことやひきこもり続けたことを考えると不安な気持ちが出てきたのです。

 

 

 

サポートセンター名古屋のスタッフは僕に24時間寄り添ってくれていました。

僕が口にした不安にも、じっと耳を傾けてくれていました。

 

 

その時にスタツフが言った言葉を覚えています。

「不安は自分で打ち消していくしかない。一緒にやっていこう。」

じっとしていても、時間とともに不安はますます大きくなっていき、僕から「やる気」を奪っていく。

 

 

どうやって打ち消していくんだ。

それが僕の疑問でした。

僕の体全体を覆っている「何をやってもだめなんだ。」という気持ち。

それをどうやって・・・・・・

 

 

スタッフからぼくに出された次の指令は「英語を勉強しなさい。」でした。

「えっ!? 英語なんか無理。無理。」

「できないからやるんだよ。」

「言われた通りにやれば大丈夫。小さな子どもでも英語をしやべっているんだから。」

 

 

そう騙されて? 気づいた時には、英語学校に通っていた自分でした。

基本的にはっきりとした自分の意思を持ち合わせない僕でしたから、背中を優しく押されたら、動いてしまうんです。

もちろん、スタッフたちが僕が動き出せるように緻密に計画してくれていたんだということが今になってわかります。

 

 

英語、英語、英語、朝から晩まで英語漬け。

ヒロさんが「そのうち英語で夢を見ますよ。」と笑って言ってくれました。

 

 

頭がパンクしそうでした。

日本語をしやべってはいけないんですからね。

大変でしたよ。

 

 

でも、日本語じゃなくて英語なら饒舌になれる自分を発見したんですよ。(気持ち的にそうなったような気がしただけで、実際には僕の英語レベルはまだまだです)

僕にとってはこれは大発見でしたね。

なんか人格を変えられるスイッチが英語を喋る時に自動的に入るみたいでした。

 

 

この二年間を振り返ってみると今になって自分は少しづつ変わっていっていたんだということがわかります。

 

 

明日に続きます。

 

下記バーナーのクリックにご協力をお願いします。

日本ブログ村に参加しています。

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ