発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

程度の悪いアスペな俺   11才 J のこと ヒロ

            

       〈11才Jのこと〉

 

 

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僕の住む町で一番貧しい地域の責任者に聞いた所、ある少年のことを紹介してもらいました。

彼の名前はJ 11才。

 

 

3才の時、仕事を探しに山奥から、両親に連れられて来たJ

字を書くことができない両親が見つけた仕事はゴミ拾い。

しかし、そんな両親もJが7才になるまでに相次いで病気で亡くなる。

 

身寄りが全くないJ。

戸籍もしっかりしていないフィリピンでは身内を捜すことも簡単ではない。

そうならば、孤児院に入ることになる。

 

 

しかし、孤児院はどこも満杯だ。

隣に住む一人暮らしの女性が見かねてJを引き取った。

この時既に60才を超えていた女性にはいくつもの持病があった。

 

 

やがて寝込む日々が増え、彼女は小さな屋台を閉じた。

それをたたんでからは、日々の薬を買うことも難しくなっていた。

Jは小学校を止めて、ゴミ拾いに従事した。

 

 

お父さんとお母さんがやっていたのを見ていたJは1日に500円近くを稼ぐ。

もちろんゴミ拾いだけではなく、車の誘導やタクシーを見つけたりしてお客から小銭を稼ぐ。

 

 

Jが立ち寄るゴミ捨て場を教えてもらいJを探した。

Jの支援をする為に、話を聞く為だ。

 

 

小雨が降る中、Jは淡々とお金になるゴミを探していた。

僕たちはそんなJに声をかけることを躊躇した。

 

 

2ヶ月後Jの支援が決まった!!

僕とスタッフはおばあさんの家に向かった。

Jの喜ぶ顔を早く見たかった。

 

 

おばあさんの家に着いたら、そこには違う人が住んでいた。

隣に住む人にJとおばあさんがどこに行ったのかを聞いた。

一ヶ月前におばあさんは心臓発作で突然なくなった。

 

 

独り残されたJはしばらくおばあさんの亡骸にずーっと寄り添っていたそうだ。

隣に住む家族が食事の世話をしてくださっていた。

おばあさんの葬儀が終わってから、しばらくしてJは行方不明になってしまった。

 

だれも、Jの行方を知らない。

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俺しかビザヤ語を話せないので、Jの通訳をしたんだ。

「小学校に行きたいでしょ」

 

 

その答えは俺たちが予想していたこととは違った。

「働いておばあさんに、薬を買ってあげたい」

 

働くことを強制されていたと思った俺は、その答えに驚いた。

Jは働いておばあさんを支えられることを生きる上でのモベーションにしていたんだと今になって思うんだ。

 

Jの強さを感じて、俺も精一杯1日を暮らして行きたいと思う。

 

どこかでもう一度 Jに会いたい。

 

〈スタッフに文章を手伝ってもらいました〉

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