なるほどね、そう言う事ですかってお姉さんきれいですね !!
書かなきゃいけない事が一杯あるんです。
まず、大統領の話の続き。
あいつ、鼻水ずるずるいわせて、鼻が詰まって頭痛いと言っています。
しょうがねえな、俺が続き書きます。
俺は回りくどくは書きません。
ストレートだ。
おじいさんは、自分の事をブログに載せてほしいと言われたんです。
この世界は「言った」「言わない」ということが大変多くて、必ず、証拠を残す為にサインをしてもらいます。
で、青木さんに確認の電話を入れたんですが、「名前や写真など個人を特定できるものはたとえご本人が載せてほしいと言っても載せない事」と言われてしまいました。
おじいさんは60代前半です。
とても優秀な人で、日本で一番良い大学に入り研究室にも入りました。
おじいさんは元々人と関わるのがとても苦手な人だったそうです。
お母さんは早くからその事に気づいていました。
それで、息子さんに「いつもニコニコしていなさい。」
「人が嫌がる事を積極的にやりなさい」と教え続けて来たそうです。
おじいさんはその事をまじめに実行していたそうです。
途中、やはり修学旅行や集団行動でみんなから遅れをとったりする事があったけれど、勉強ができて、まじめな性格からいじめられたりする事はなかったそうです。
しかし、大学のゼミや研究室では濃い人間関係が必要となるので、かなり苦労したそうです。
で、結局研究室にいる事ができなくなり、やめたんですけれど、そのときの担当教授がとても理解ある人で、その先生の紹介で大企業に事務職で入社できたそうです。
以来、色々と人間関係で苦労した会社生活だったけれど、なんとか定年まで勤め上げられたそうです。
しかし、10年前にお母様をなくされてから、一人になってしまい、色々と考える事が多くなり、鬱状態で現在通院されているそうです。
で、病院の先生がおじいさんの生育歴を聞いて、「発達障害かもしれないです」と言われて、慌てて発達障害の事を調べたそうです。
おじいさんは「これだ」と納得がいったそうです。
で、インターネットを色々と見ているうちに僕らのこのブログを見つけたんだ。
色々と読み進めて行くうちに、20年間もひきこもっていた人の記事を見つけて大変勇気をもらったんだ。
で、考え抜いた挙げ句、もう一度人生をやり直したい。
その為には、導いてくれる人が必要だということでサポートセンター名古屋に手紙を書き、支援のお願いをしたそうです。
しかし、青木さんからの回答は、支援の方法が違うので今の現状ではお引き受けできないと断ったそうです。
おじいさんは、結婚もしたい。
人と交わる喜びも経験したい。
子どもも育ててみたい。
僕や大統領が必死になって頑張っている姿を見て、「このわしだって、今から頑張れるさ」と思ったんだ。
でも、水先案内人が必要なんだ。
で、断られたにもかかわらず、勝手にフィリピンに来て、勝手に青木さんの住む所を見つけ出して、突撃訪問!!
で、やっぱり丁寧に断られて、今度は俺と大統領に一目会いたくて、俺たちの街にいらしたんだ。
という事を延々とはなされた。
この話を印刷した紙を取り出し、僕たちの前で読まれたんだ。
「頑張ってるね」と言って大統領の手を掴んでまた泣いたんだ。
そして、バックから、封筒を取り出し、大統領に手渡した。
それは現金だった。
「おい、いくら入ってたんだ」と俺は大統領の話を遮り聞いた。
「僕、お金のことわからんよ」
「てめえ、一番大切な事だろうが」
「おじいさんは、俺たちに頑張りなさいという事で、お金を寄付してくれたんだ。」
「サポートセンター名古屋がどれだけ貧乏な団体かわかってみえたんだよ。」
で、そのお金はどこだ!!
「スタッフが困りますと言って返したよ」
はぁ!! ばかか
それで、その先は!!
おじいさんは頭を下げて帰ったよ。
それから1時間したら、又警備員から又おじいさんが来て手渡したいものがあるから合ってくださいということで、スタッフがいったんだ。
で、それがこのショッピングバックなのか。
俺は目の前のバックを破り中身を確認した。
色々な服が入っていた。
なぜか値札がちゃんとついていた。
計算したら3万円ぐらいになった。
大統領にも同じものが。
2人のスタッフにも・・・
手紙がいれてあった。
「恋をしたり、失恋したり。ダメだと思った自分が誰かの役に立つ事ができるとわかった時。人生はすばらしいという事を教えてくれてありがとうございました」
俺は、じっとできなくて、外に出た。
しばらく歩いた。
涙が一杯出た。
こちらこそ、ありがとうございました。
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