「子どもに障害をどう伝えるか」
おっ、面白そうなタイトルじゃないか。
うんうん、なになに?
おっお、そうなんだよね。
よくわかりましたよ。
あの、僕、程度の悪いアスペじゃないですか。
正直言うと、程度の悪いアスペにさせられてしまったと思うんすよ。
まあ、母親の俺に接する態度がかなり問題があったからなんですけれど。
最初にお断りしておきますが、今は母親を責めてはいません。
むしろ、こんな俺で申し訳なかったって思っていますよ。
母は勉強ができない俺をなんとかしてあげたかったんです。
その事じたいはどんな親もそう思うでしょう。
馬鹿な息子が不憫でしょうがなかったんですよ。
そんな母の俺への愛情は、俺への暴力に変わったんですよ。
叩く、物をなげる・・・
一番答えたのは、「言葉」です。
「あなたはだめな子どもだ」
「クラスの他の子はできるのにあなたはできない」
「あなたは欠陥人間だ」
その言葉で俺は自分自信を否定してしまいました。
「どうせ、俺なんかだめな人間なんだ」
「もう、どうにでもなれ」ってね。
自暴自棄になり、家庭内暴力がエスカレートし、警察沙汰にまで発展。
学校では一転いじめられつづけとうとう不登校、そしてひきこもり、自殺未遂へと。
俺は中学卒業間近だったと思うけれど、そのときに病院を受診して診断名をもらった。
色々と検査をした。
どうせ、馬鹿な俺が「正真正銘なバカ」とお墨付きをもらうだけだろ。
検査の結果、アスペルガーと診断されたんだ。
なんか図を見せられて、でこぼこがあるから、なんとかうんとか・・・
父からも俺の状況が伝えられた。
俺は既にアメリカで診断をつけてもらっていたので父は納得していたが、母は絶対に納得はしなかった。
むしろ、「発達障害をできない理由にするな!!」なんてね。
そんな事も言ってた事を思い出す。
まあ、とにかく、俺は生まれながらにして不得意な所をもっていたんだという事がわかっただけ良かった。
お医者さんも説明してくれてわかったけれど、一番はやっぱサポートセンターだ。
俺の状況を手書きのアニメなんかを使って懇切丁寧に説明してくれた。
学校でどうしていじめられたか、なぜ勉強が苦手なのか、母親と俺との関係についてなどなど。
今、そのときの事を思い出すけれど、俺に取って大きな転期だった事は間違いない。
いろんな事がそのとき理解できたんだ。
俺の状況がどういう事なのかってね。
「時間はかかるけれど今より楽しい人生を送れるようになるからね。」
「何も心配はいらないよ、私たちはヒロさんの辛さや悲しさをわかりたいと思っているんだ」
「他の人よりもできる事もあるはずだから一緒に探そう」
そんな言葉を思い出す。
障害を伝えられた俺は、その後、徐々に自分を否定する事はしなくなっていく。
あの事を境に俺の人生は変わっていった。
決してオーバーな事ではない。
そう言うことで、「障害告知」は俺に取ってはとても大切な事だったんだ。
以下、ひなママさんからのブログの抜粋です
子どもは叱られるだけの「価値のない存在」として自分をとらえるようになっていきます。
「なぜ障害の告知が必要か」
「その最初の答えは、おそらくこの悪循環を断つために、障害とよばれる特性から問題が生じていることを理解することが必要だからでしょう。」
俺の事言ってくれているやんか。
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