小学校高学年から学校に行けなくなったんよ。
小学校の時同級生を殴ってしまって学校脱走しようとして大騒ぎになったんよ。
中学も行けんかったんよ。
違う中学でやり直そうと思って頑張ったけれど、やっぱり行けんかったんよ。
不登校の子どもを支援するNPO法人に行っていたけれど途中で行かなくなった。
意味がないと思ったから。
また、違うNPO法人に行ったけれど、やっぱだめだった。
こんな事してても時間の無駄だと思った。
結局なんも僕たちの事をわかっていない人たちがやってるだけだって思ったんよ。
不登校の子どもが行く高校に行ったけれど、すぐに行かなくなった。
この学校って親にはいい事言うけれど、中身は糞だね。
やめたの僕だけじゃないし。
みんなと仲良くできた経験がないんよ。
友達もおらんかったんよ。
「何で友達おらんかったの?」
はぁ?(ヒロさん風に)
中学校のときの僕をみた同級生はみんな思ったろうな。
「大統領って変な奴」
僕が僕見て思うんよ。
「気持ち悪い奴」って。
小学生のときにその事がわかって、少しでもみんなと同じになっていれば、僕の人生違っていたんよね。
それが今になってわかるんよ。
中学のときなんてわからんって。
僕がみんなとちよっと違っているなんてね。
今は父親が見つけてくれた、サポートセンターで個別支援を受けていて、落ち着く事ができて、昔の事を整理して僕なりに過去をありのまま受け止めようとしている最中なんよ。
とても難しい事なんよ。
とても疲れるし、頭ではわかっているんやけどね。
気持ちが着いていかないんよ
もし、サポートセンターで支援を受けなかったらどうなっとたんやろ。
家庭内暴力がエスカレートして、僕はヒロさんみたいに取り返しのつかない事をしてしまっていたやろね。
その後は刑務所に入っていたんやろね。
それか自殺未遂か。
僕は死ぬのが恐かったんで、考えんかったけどね。
そのかわり、体に入れ墨みたいな事をしていた。
コンパスの尖ったところでね。
僕は小さいときから思春期まで家庭環境が悪いまま育った。
食事の最中に家族が笑いながらご飯を食べるような家族だったら良いなって思っていたんよ。
でも、そうじゃなかったんよ現実は。
なんやろ
あるときばあちゃんが、僕を講演会に連れて行ったんよ。
あのさ、その講演会は食事が発達障害や不登校の子どもに大きく影響するって言うのが言いたかった事ね。
「ちゃんとした食事を取っていれば、不登校は防げるんですよ」
まあ、コメントするまでもないよね。
それとか、改名をしようとかね。
どれだけ僕が傷ついたか、わかんないんだよね。
まあ、ばあちゃんも絶対発達凸凹だよ。
ブログを書く事で僕の中の嫌な気持ちを他の人たちに伝えています。
その事で僕一人が背負わなければいけないものを他の方々も一緒にせおってくれていると感じて、気持ちがだいぶ楽になっています。
いつも、僕の変な文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。
このブログを訪れて下さる皆様の優しさにありがとうを言いたいです。
特に「グレーな卵、金の卵になあれの人」勝手に理想のお母さんだなって思ってしまいます。
読んでいて、本当に心がいやされます。
できたら青年の人に関する事ももっと書いてみてください。
特に思春期にさしかかった当事者の問題とか、「性」の問題なんかも
僕は結構悩んでいるんよ。
もちろん僕の本当のお母さんが一番大切だという事には変わりがありません。
読んでいる人が誤解を招いてほしくないのであえて書くんですけどね。
ちょっと、うろうろしてきます。
フィリピンは真夏ですよ!!
「お知らせ」
「小さな小さな食堂開設への道」と題して、下記のブログを書いています。これは、「ひきこもり、家庭内暴力等で、希望を失ってしまった日本の青少年に就労場所を提供し、自信をつけてもらう為のプログラムです。」
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「小さな小さな食堂開設への道」
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