発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

発達障害支援 支援の仕方で人は変わる 青木

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小学校低学年の成績は「△」か「1、2」でした。

じっとしていることが大の苦手で、いつも教室の窓の方ばかりに注意を向けていました。

それで先生が授業で話すことが頭に入らなかったのです。

 

 

 

特に、音とにおいには人一倍敏感だったせいもあるかもしれません。

秋になり運動会が近づいてくると、出し物の練習をする為にいろいろな音が聞こえてきます。

 

 

 

あの音を聞いてしまうと、特にじっとしていることができなくなって、体をもじもじさせていたことを思い出します。

その度に、先生から頭を叩かれたり、ほっぺをつねられたりしていました。

 

 

 

通知表には決まった文句が並べられていました。

「落ち着きがありません。いつも勝手な行動が目立ちます。みんなと仲良くできるようにしましょう。」

 

 

 

そのことは僕の一番の苦手なことでした。

 

 

 

しかし、4年担当の野村先生はそんな僕を褒めてくれました。

 

 

「先生は君のことを関心を持って見ているよ。」というメッセージをことあるごとに投げかけてくれていました。

勉強の仕方をマンツーマンで教えてくれたのも野村先生でした。

落ち着きがない僕に「先生の目をみてごらん」と優しい声で静かに

語ってくれたことを思い出します。

 

 

 

先生の目はいつも笑っているようにみえました。

「大丈夫だよ、何も心配はないよ」そんな暗黙のメッセージを感じ取り小さな安心を感じ取りました。

 

 

 

4年生で通知表が「1、2」から「3、4」に変わりました。

 

 

 

僕は小さいときから「変な子ども」だと周りから言われ続けていました。

勉強も運動もとりわけできなければ、周りの子ども達との仲間の輪に入っていけませんでした。

 

 

 

ですから、自分自身も「だめな子ども」「みんなから嫌われている子ども」と認識していました。

そのことは社会と一定の距離を保つことに拍車をかけるまでになりました。

 

 

 

自宅から学校への通学路沿いに小さな小川が流れていました。

清らかな川の流れではなく、家庭排水が流れ込み異臭を放っている川でした。

 

 

 

その川に下校時何度も何度も落とされていました。

ですから、教科書もふやけてしまい、使うことができなかったことを覚えています。

 

 

いつも、どぶ川に落とされ全身びしょびしょになって歩いている姿を通学路添いの住民の方も見ていてくださり、タオルで拭いてくださった方や、いじめの現場を見て、注意をしてくださった方もいたことを覚えています。

 

 

 

僕は、いじめられるままにされていました。

抵抗する気力さえもなかったのです。

僕はバカな子どもでみんなとは違うからこんな目にあうんだと変に納得していました。

 

 

小学3年の頃には、ここではないどこか遠くで、一人で過ごしたいと思うまでになりました。

 

 

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