発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 日本に帰国してやり直す決断ができました。 MISS G

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Miss Gです。

私は、1年半振りに日本にいる母と話しました。

母に、「生んでくれてありがとう」と一言言いたかったのです。

 

 

 

 

事前に想像していたのとは違い、淡々と母は私の話を聞いてくれました。

私はもう少し本音で話したかったです。

 

 

 

 

私が、日本に帰り、親戚の工場で事務員として働く決意を話しても、「頑張りなさい」の一言だけでした。

 

 

 

 

「とても辛い事になるかもしれないよ。」とサポートセンターのスタッフさんがアドバイスを下さいました。

でも、母からの反応を期待したのではなく、私が母に自分の思いを話したかっただけです。

 

 

 

 

色々とこの一ヶ月間、将来の事を考えていました。

結論は、日本に帰り、経済的、精神的に自立をして行くと言う事です。

自分の時間を使って、誰かのお役に立てる事もしてみたいです。

 

 

 

 

日本を離れてフィリピンには2年いた事になります。

不安定な私を支え続けてくれた、スタッフの方々には感謝しています。

色々な方々と、ここフィリピンでお会いできた事も、私の回復には効果があったと思っています。

 

 

 

 

回復?私は回復したのでしょうか?

「おしゃれがしたいって言われた時には、うれしかったよ。」

「この数ヶ月、両親に関する事は何も話していないじゃないですか」

 

 

 

私は、ここフィリピンで支援を受ける事で過去を振り返る事が無意味だという事に気づきました。

「自分の時間は、自分の楽しい事に使いたい」

 

 

 

今、そう思っています。

不安な気持ちより、「あの家具を買って、壁紙はこんな風にして」とか、そんな事を考えている自分がうれしいです。

 

 

 

 

 

母と父はそれぞれの道を歩んでくれればと思います。

 

 

 

 

 

まず、今いる場所から離れるという事。

安全な環境で、自分をありのまま受け止めてそして希望へと導いてくださる方々の中で暮らすことが、とても大切だと感じました。

 

 

 

最後に、こんな私に、色々と励ましのメッセージを下さった皆様、こころからありがとうごさいました。

また、お一人、私に直接あって励ましたいと、申し出てくださった方がみえました。

 

 

 

 

世の中には素晴らしい人たちがいらっしゃる事に驚きました。

今度は私が元気になって、誰かを励ます番です。

 

 

 

また、どこかで皆様とお会いしたいです。

ありがとうございました。

この記事がブログにのる頃には、私は日本のホテルに滞在しています。

 

 

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