「発達障害が問題ではないです。」
「発達障害でも社会に溶け込み、受け入れられている方は大勢居ます。」
「問題は、鬱に発達凸凹の母とアスペな俺が社会で孤立し、必要な支援をどこからも受ける事ができなかった事なんです。」
今しがた、ヒロさんの文章を読んで、すぐに思いを書きたかったので、今書いています。
この文章は私に気づきを与えてくれました。
私の母は鬱です。
元々鬱的な資質を遺伝として持っていたのです。
しかし、父と出会い結婚生活を送る中で、症状がひどくなって行ったのです。
母が発達凸凹かどうかは分かりません。
しかし、父は発達凸凹だと感じます。
父と私とはまともに顔を合わせて向き合った記憶がないのです。
休みの日は一日中部屋で歴史小説を読むか、趣味の鉄道の写真を取りに行っています。
今、振り返って思うのですが、父には「家庭」というものを必要としてなかったのではないかと思います。
周囲に勧められての見合い結婚で、一児の私を授かりました。
子どもが生まれた事に対して、特別な感情を抱かなかったと母から聞いています。
幼少の頃の私の写真もほとんどないのです。
もちろん、父は私に対して暴力をふるったり、無視をしたりしたわけではありません。
しかし、父に対して家族という絆を一度も感じた事はないのです。
その事で一番の犠牲は母でした。
母は元々おとなしいタイプでした。
ですから、父が色々と母の事を重んじて行く必要が合ったのです。
結果的には、無視のような状況になり、母は症状を悪くして行きました。
その母の怒りの鉾先が私だったのです。
私は母にも父にも甘える事もできずに、育ちました。
心に大きな穴が開いたままです。
母に対して強い憎しみを持ち続けていました。
しかし、今、ヒロさんの文章を読み進めて行くうちに、気づきがあったのです。
アスペルガーの私と鬱の母はこの社会でどこからも支援を受ける事ができずに、孤立していたのです。
父はきっとアスペルガーでしょう。
父は人との強い関わりを必要としない人なのです。
それは、父が生まれたときから持っていたものです。
それを変える事はできません。
そして、そんな父と鬱の母が結婚してしまった事が、そもそもの問題なのです。
今、頭の中が、すっきりと整理されました。
今、私は思うのです。
母を許そうと。
母は被害者。
私にあたる事で唯一精神の均衡を保っていたのでしょう。
私は、母から受けるべきものを受け損ねた事を後悔しないと今、確認しました。
もう、母への強い思いは捨て去ります。
私は、わたし。
残された時間を、この世に私が生を受けた事を確認する為の事に費やします。
何か自分勝手な文章で、皆さんに伝わりにくいかもしれません。
でも、この気持ちを文字に残したくて、ブログを書きました。
ヒロさん、本当にありがとう。
私は、日本に帰って、母にこう言います。
「お母さん、生んでくれてありがとう。」
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