発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 学校否定の人の話を聞いて、うん、って思ったんよ 大統領

 

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どうも、大統領です。

こちらはすっかり雨期になりました。

毎日、雨、雨、雨のフィリピンです。

 

ヒロさんは極端な性格ですよ。

一度に3つもアップするなんてね。

まあ、書きたかったんでしょうね。

 

 

突然だけど、ちよっとテレビ見ててね。

学校否定している人の話をきいたんよ。

学校の制度に色々とひずみがあるとかないとか

その他もろもろ

 

 

なるほど。

で、僕はっていうと、学校好きだったんですよ。

同級生から嫌なこと色々とされたけどね。

でも、もっと学校の友達と楽しく笑え合いたかったな。

 

 

それで、僕聞いたんだ。

ヒロさんは学校大否定でしょ。

学校に行かないということは、学校を否定していることだからね。

 

 

 

「おい、誰が学校が嫌だと言った!!!

「皆とそこそこ楽しくやりたかったな」

「クラスの輪の中に入っていきたかったな」

 

 

そうなんだ、学校好きだったの

-----------------------------ん。意外ですな。

 

 

 

他、2名の方にも聞きました。

いずれも、学校が好きだった。

でも、皆についていけなくて、自信がなくて、不安で行けなかった。

行きたいけれど、行けなかった。

なんと、意外や意外。

 

 

 

最後に青木さんに登場してもらいました。

入院させられたぐらいいじめられたわけだから、当然学校否定でしょ。

 

 

えっ!!!!

学校大好きだった????

もしかして、文科省の回し者ですか

それか、何か文科省からお声がかかるのを待っているとか?

 

 

 

学校は好きだった。

クラスの同級生が笑っているのを見ているのが好きだった。

僕はその笑いの中には入っていけなかったけれど。

 

 

僕がみんなと違ったので、皆とうまくやれなかった。

違う自分を理解してくれなんて、言えなかったし、

そんな気持ちは全くなかった。

 

 

悪いのは、皆じゃなくて、僕なんだといつも思っていた。

野村先生と川島先生のおかげで、苦手なことでも時間をかけてやればできることがわかったし、自分には自分の良いところがあることも先生達から教えられた。

 

 

それで、僕は皆に受け入れてもらえるようになった。

完璧な人や制度なんかないさ。

もちろんよりよい学校になってほしいけれど。

 

 

 

でも、あの当時の学校、やっぱり好きだったな。

学校に行けなくて不登校になっていたのは、学校を否定したのではなく友達から否定されてしまったから。

 

 

 

つまづいて泣いていた僕を立ち上がらせて、勇気づけてくれた人がいて僕は学校に戻れた。

 

と言うことらしいです。

 

 

 

まあ、全く違う意見もあるでしょうね。

それを否定するつもりないし。

学校否定するなら、それはそれでいいんじゃないかと

 

 

本人が学校否定して、行かなくなったんならそれでいいんじゃないかと

その人達の為の学校だってあることだしね。

 

 

青木さんに再び聞いたんよ。

今まで20年間やってきてさ、どうなのって

やっばり、学校を忌み嫌っていた青少年はほとんどいなかつたって。

 

 

 

まあサポートセンターでの不登校1000人そこそこのデーターだけらしいけどね。

 

 

じゃあね。

 

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