発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 沖縄から帰ってセンターで支援が開始です ヒロ

 

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沖縄から帰った後のサポートセンターでの暮らしぶりをお伝えします。

 

沖縄元気回復ツアーで僕は楽しい体験をしました。

沖縄の美しい自然に触れたことも良かったのですが、

それ以上に様々な違いを持った人との出会いがぼくには良かったと思います。

 

 

そんなこんなで、沖縄から帰ってきて僕は気持ちがあがっていました。

近くのキリスト教の会堂をお借りして、僕の支援活動が始まりました。

 

 

僕は他の青少年達とはうまくやっていけないと判断されて、僕1人だけの支援になったのです。

毎日、簡単な仕事をやりました。

 

 

帳簿の管理とか、郵便物の発送作業とかです。

これはこれでリズム感があって楽しかったです。

でも、毎日間違いが見つかり、イライラもしてました。

 

 

簡単な作業が毎日の決まった時間に組み込まれていました。

それ以外に、様々なプログラムが僕の為に用意されていました。

ボーリング、トランプ、将棋、チェス、人生ゲーム、ゲームセンターでのゲーム、部屋の中でのゲーム、カラオケ、釣り、潮干狩り、キャンプ、山菜り、キノコ狩り、ハイキング、等など

 

 

僕は遊びがいっぱいあって、この支援団体は大丈夫かと思う反面

毎日が楽しくてしょうがありませんでした。

ただ、毎回必ず、プログラムが終わった後には、スタッフと話し合う時間がありました。

 

 

 

あのとき、こんな発言をしたけど、どういう気持ちだったとか、そんなんです。それと僕1人にスタッフがいつも3人必ずついていました。時には、5人近くのスタッフと一緒にゲームなんかもしていました。

 

 

 

途中で、それは僕の状態を理解するための手段だと聞きました。

つまり、僕は、丸裸にされたわけです。

その時には、この団体が少し恐ろしくなりました。

 

 

僕は、ダメだしされて、回復不可能   決定!!

決定をもとに、僕は人里離れた、山奥にある廃人隔離センターに移送され、そこで余生を薬付けにされて過ごすことを考えていました。

 

 

いつ、このセンターから抜け出すかいつも考えていました。

僕の次の行き先は、暴力団か任侠の世界と決めていました。

それで、コンビニで任侠の人たちの月刊誌を買って、就職に備えていました。

 

 

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