発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 母との怒鳴り合いの日々 〜独り言が出て来た〜 ヒロ

 

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僕はぶっ倒れていました。

 

2日間寝込んで、今は元気にやっています。

「朝の5時から7時までに、農作業をやりなさい。」とスタッフに言われていました。

「帽子をかぶって、30分に一度水を飲みなさい。」とも言われていました。

 

しかし、猛天下の中、帽子もかぶらず、水分補給なしでやっちまいました。

こんな風に、自己管理ができないのが僕たちです。

それで、スタッフから厳しく注意がされました。

 

 

 

精神科医の診断は、やはり広汎性発達障害でした。

でも先生は、「恐れたり、不安になる事はないよ。」と励ましてくれました。

本当に素晴らしい先生です。

 

だからなおさら、昔の医者の事が腹立たしくて仕方がありませんでした。

その事を話したら、「そんな事を言われたのですか。つらかったですね」

「専門家は少ないので、その先生はわからなかったかもしれないね。」

「でも、同じ医者として、君を傷つけてしまった事は申し訳なく思っています。」

 

僕はこの先生の返答で、前の医者の事を忘れる事ができました。

一週間に一度先生に1時間ほど話を聞いてもらいました。

父親は、2週間に一度です。

 

本当にこの先生に話を聞いてもらえると、自分は大丈夫だと思えました。

具体的には、僕が学校の皆とうまくいかなかった事や母親が理解してくれず、一方的にああしろこうしろと命令する事などです。

 

先生は具体的に、どうしたらいいかと言う事は話してくれませんでしたが

優しく話を聞いてくれた事で僕はその時だけだけど、平安を感じました。

 

その頃は学校にも行けず、朝から晩まで「ドラゴンボール」「ファイナルファンタージ」をやり続ける毎日でした。

別に、やりたくてやっているわけではないです。

こんな事でもしていないと、イライラが爆発して、大暴れしてしまうから。

 

 

ある時から、先生はお母さんとのやりとりなど母親とのことを聞き始めました。

できるだけ母とは会わないようにしていました。食事も父が僕の部屋に運んでくれました。でも、顔を会わせてしまうとお互い怒鳴り合い状況です。

 

毎日、毎日母との怒鳴り合いでした。

「そんなに、俺が憎いなら、何で生んだんだ。」

「生まれてこなければ良かった」

こう言い放った時の、母の悲しい顔を忘れる事はできません。

 

この頃から、僕の独り言の回数が多くなっていたそうです。

父親が記録してくれていました。

 

一日中、独り言を言って、暴れたり、笑ったりしていたそうです。

医者に相談したら、環境を変えた方が良いとアドバイスをくれました。

 

 

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