発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援  フィリピンの映画に出演 ヒロ

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       主演のAngel Locsinとの2シヨット

       僕の役は成田の入国管理職員

 

 サポートセンター名古屋と出会う前の俺は、正直ゴミでした。

    悪臭を放ち、何の役にも立たないそんな者でした。

 

 サポートセンター名古屋のスタッフは本当によくしてくれました。

    沖縄への旅行に行けなかったことが悲しかったことを聞きつけ

   1年遅れの沖縄旅行をしてもらったり。これは最高の時間でした。

 

 フィリピンのボランティアでは、生まれて初めて、人から「ありがとう」

 と言われる体験もしました。このことで死ぬことはもうやめようと思いました。

 

 でもそれだけでは、俺の中の怒りの炎は消えることはなかったのです。

 もっとたくさんの他者からの愛情(他者からのアテンション)が必要だったのです。

 

 いつも青木さんが中心となって、俺の気持ちをあげるにはどうしたら良いのかを

 考えてくれていました。

 そんな中で、僕に映画に出ないかとの打診が来たのです。

 もちろんエキストラですが、ちゃんと台詞もありました。

 

 映画は、アメリカでの上映も決まるほど大ヒットとなりました。

 

 嘘のような本当の話ですが、上映後、町を歩いていたら、たくんの人から

 サインを求められました。

 

 

 高校に入学した時は、はっきり言って年下のフィリピン人と同級生になることは

 抵抗がありました。

 クラスで自己紹介したときに、「あっ、映画に出ていた人だ」と言われ

 数ヶ月間はクラスの人気者でした。すんなりとクラスに溶け込むことができたのです。

 

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「僕が出た映画、IN THE NAME OF LOVE」

 

 それ以降もクラブを貸し切っての、俺の毒煙かい(こらあ誤変換かい)

 独演会やステージにたたせてもらったり、

 本当に様々なプログラムを考えて、僕に与えてくれました。

 

 サポートセンターの前にはカウンセリングもいっぱいやりましたが、

 僕には全く効果がありませんでした。

 

 一度めちゃくちゃタイプの美人カウンセラーにあたった時は、

 興奮して夜も寝られなかったけれど。

 でもこの人だけは恩人です。

 

 嫌な思い出を消すには

 良い体験を嫌な体験以上にすることだと思います。

 

 やがて嫌だと思っていた体験(僕の場合はいじめや授業に出ても勉強がわからなかっ   たこと)が違う意味にとらえることができるのです。

 

 うーん、うまく言えませんが。

 

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