(画像引用)Wikipedia
「わたしと小鳥と鈴と」 金子 みすず
「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」
僕は20年間ひきこもっていた。
ひきこもっていたその期間何をしていたのかというと、ラジオを聞いていた。
ラジオはNHKを主に聞いていた。
番組は「英会話」と「ラジオ深夜便」しか聞いてなかった。
民間放送を聞くと、若者向け番組があって「今」を感じてしまうので、怖くて聞けなかった。
その点、「ラジオ深夜便」は心のオアシスだった。
昼夜逆転していたぼくにはちょうどよかった。
その番組で、初めて金子みすずの詩を知った。
とても感動した。
急いで詩を書き写したが最後の「鈴と小鳥と、それからわたし、みんなちがってみんないい。」しかわからなかった。
それでも小さく声に出して読んでみた。
「鈴と小鳥と、それからわたし、みんなちがってみんないい。」
少し泣いてしまった。
ぼくは中学の時にクラスのみんなと同じではなかったので、自分はだめな人間だと思っていた。
だめな人間はこの世の中で必要とはされていない。
だから死ぬしかないのだと思っていた。
でも「死ぬこと」は怖くて僕にはできなかった。
ただ、時間だけが過ぎていくのを消化するような人生。
20年間僕は何もしてこなかった。
フィリピンに渡った。
というより、僕もヒロさんと同じで島流しかもしれない。
日本のお国に役に立たない人間は、日本から南の島に島流し。
しかし流れ着いた先は地獄ではなく、天国だった。
もっと早く島流しを食うべきだった。
フィリピンで初めて心を許せる友達ができた。
僕は相変わらず反応が遅かったけれど。
だから、またみんなとの間に溝ができて無視されてしまうと怖かった。
でも溝なんかできやしなかった。
ここは日本語じゃなくて、英語とフィリピン語を話す国だったから。
僕の反応のゆっくりさは、英語やタガログ語を使わないという点で、誰もぼくのおかしさに気づかなかった。
そう思っていた。
でもそれはちがっていた。
僕は英語を話すようになった。
たちまち僕の反応の遅さが彼らにわかってしまう。
そして、仲間ハズレにされる。
もちろん僕はサポートセンターで練習をして来たので、以前のぼくとは違う。
それでも反応が遅いことは変えることができないのだ。
しかし、彼らは僕からの返事を待ってくれた。
誰も僕を仲間はずれにはしない。
ある日、僕は友達に金子みすずの詩を英訳して、聞かせた。
僕が感銘を受けた詩と紹介した。
しかし、誰からも手応えがなかった。
「あたり前のことだよね。」
そんな感想がほとんどだった。
僕は今になってわかった。
金子みすずの感じた世界は日本固有のものから来ていたんだと。
そうわかった時改めて世界は広いと感じた。
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