発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

小、中不登校だった僕がやる気を出した理由とは ヒロ

 

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僕はアスペルガーADHDと診断されています。

合計4ヶ所の病院で診断してもらいました。

まあだから誤診ということはないとは思います。

 

 

ただ1件の病院は「発達障害なんていうものはないんだ。あなたの考えがあなたの行動を引き起こす。真面目になりなさい。」と担当してくれた医者からそう言われました。

 

 

まあ色々な考えがあるんでしょうね。

 

 

それで僕はサポートセンターというところで13年間支援を受けています。

サポートセンターは個別支援が基本です。

しかし、状態がよくなった場合は支援者同士が交流を持てます。

 

 

こんなことをする意味がわかりませんでした。

今なら、わかります。

ほぼ全員、他に支援を受けている人に嫉妬します。

 

 

自分は他の人より容姿が劣っているとか、勉強が遅れているとか。

そんなふうに自分と他の人たちと比較してより自信をなくす場合が多いんですよ。

 

 

だから理解ある支援者に囲まれての個別支援がとても大切なんです。

 

 

さてと。

僕はなんとか、試用期間を与えてくれる会社と出会いました。

正社員として採用されないかもしれないけれど、本当に嬉しいんですよ。

 

 

前にも書きましたけれど、アルバイト100社近く受けて採用は3社ですよ。

そのうち2社は数日でクビでした。

他のアルバイトはお客さんから苦情がきてやめさせられました。

 

 

そんな俺がなんとか試用期間でもチャンスをもらえたのは、やはり頑張ったからです。

評価された点は以下のことです。

 

 

英語が自由に使える。

フイリピン語も使いこなせる。

そして日本人ということです。

 

 

英語が使えるようになるまでには時間がかかりました

寝る以外は一日中英語漬けでした。

つまり1日15時間程度を1年間やり通したのです。

 

 

そこまでやればまあ誰でも英語をそこそこ使いこなせます。

問題はどうしてそこまで僕が英語を勉強しようと思ったかです。

 

 

英語が話せることを他の人から褒めてもらったたことが大きな転機だったとぼくは思っています。

 

 

話せると言いましても、最初は「nice to meet you 」程度ですよ。

ほとんど中学1年英語。

日本語に直せば、「はじめまして」です。

 

 

でも程度の悪いアスペな僕には、褒められたという経験がまったくなかったわけですから。

それも外国人から褒められた。

 

 

特別な感じがしましたね。

でもまあそれで、しゃかりきになって15時間も英語をやるかと言えば、「やるわけないじゃん」です。

 

 

じゃあどうしてしゃかりきになれたか。

はい、ちゃんとした動機がそこにはあったんです。

15時間もの間ひたすら英語をやりづけられるほどの強い動機が。

 

 

それはまた明日。

 

 

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皆様の優しさにもっともっと感謝するんだ!!ヒロ

 

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試用期間を設けて採用するかどうかを見極めてくれる会社と出会いました。

 

 

今はすでに試用期間の最中です。

特別な計らいで週に2日間はサポートセンターでの仕事が許されています。

 

 

ぼくは全力で頂いたチャンスをものにします。

どうなるかはわかりませんが、全力を尽くします。

 

 

それでぼくは今回、青木さんに謝りました。

それは「勉強をさせようとしている、お前を叩き潰したい。」と俺は何度も青木さんに昔言ったことをです。

 

 

その当時はさすがにバカな俺でも青木さんを殴ったりはしませんでしたよ。

こんな俺の中でも「この人は傷つけてはいけないんだ。」と思っていましたから。

 

 

先日の面接で言われたんです。

「外国の大学をでるのは大変だったでしょう。」

「それだけ英語が話せるようになるには、随分時間をかけたんでしょ。」

 

 

呑気な俺は「いえ、大したことはありませんよ。」

「英語でコミニュケーションを取るのは今や国際社会では当たり前のことですから。」

 

 

面接が終わって、自宅への帰り道。

とても嫌な気持ちが襲ってきた。

青木さんの顔が何度も、何度も脳裏に出てきやがる。

 

 

「くどい顔は NO Thank You だよ!!」と言い放った俺。

 

 

青木さんは笑っている。

「良かったな。良かったな。うん、良かったな。」ていつもの一人芝居。

 

 

「ごめんなさい。本当にバカな俺でごめんなさい。」

「どんだけたくさんの人たちを振り回したか」

「俺は幸せ者です。」

 

 

バスの中で号泣してしまった俺。

隣のおばさんが「日本人ですか?フィリピーナに振られたのね。騙す人もいるから気をつけないと」

そう言って俺にテイッシューを山のようにくれた。

 

 

「はい、気をつけます。ご助言を感謝します。」

他人の優しさに水をさすことができなかった俺です。

 

 

で、その優しさがまた俺の心に響いてもっと泣いてしまった。

恥ずかしくなってバスを降りた俺。

 

 

「大丈夫、きっと良い人がいつか見つかるから。」と背後から他の乗客の声援を受けてバスを降りた俺。

 

 

勘弁してください。

もうダメだ。

みんな何でそんなに優しいんだ。

 

 

こんなバカな俺に。

俺はみんなから毛嫌いされていた人間。

「お前が近くにいると臭うからあっちいけ。」

 

 

中学時代にクラスのみんなから言われたことばを思い出したら、また泣けた。

「神様ぼくはもう十分に幸せです。」

「もう本当に大丈夫ですから。他の人を幸せにしてください。」

 

 

俺の涙はしばらく止まらなかった。

 

 

このブログにコメントをくださっているみなさんへ。

「ありがとうございます。」と言うのは簡単だと思います。

 

 

ぼくはその思いを態度にして表したいと思います。

もう十分にぼくは幸せですから。

 

 

これからもっとアクセル踏み込んで行きますんで、これからも

「程度の悪いアスペな俺」をご贔屓にお願いいたします。

 

 

 

また明日。

 

 

 

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就職できるかもしれません!!試用期間を頑張ります。ヒロ

 

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     ひたすら会計のやり方を勉強してきました。

 

 

正社員目指して第1歩を踏み出します。

12月より試用期間が始まっています。

3ヶ月の長期に渡り試されます。

 

 

フィリピンに関わる日本人の支援をしている会社です。

仕事の内容は事務仕事です。

給与は日本での採用と比較したら多くはありません。

 

 

しかし、ここフィリピンで暮らしていくには十分です。

子どもも大学まで行かせることができると思います。

 

 

ここの会社に採用されないとお先真っ暗な僕です。

 

 

青木さんが僕の履歴書を持ってあちらこちらに頭を下げてくれました。

嘘は言えませなんので、人事の方に正直に俺のことを言ってくれました。

 

 

アスペルガーと診断されています。コミニュケーションを取ることに少し問題があります。しかし、日本人ですが英語はフィリピン人よりよくできますし、会計事務も1年間勉強させました。」

 

 

しかし、やはり「自閉症」と言った途端、採用担当者の顔が曇ったそうだ。

 

 

「コミニュケーションを取ることに少し問題がある人を雇えると思いますか?」

とも言われた。

 

 

当たり前だな。

お金を払うだけの価値がなければ採用なんかしないさ。

必要じゃない人間には、ようがないんだよ。

当たり前のこと。

 

 

青木さんの顔が曇ってることに申し訳なさを感じていた俺です。

 

 

でも吉報がもたらされました。

俺のボランテイアの活動記録をみてくれたある会社が興味をしめしてくれたんです。

 

 

 

俺が日本に帰って色々なところでフィリピンの子どもたちを助けてくださいとお願いした実績を評価してくれたんだ。

 

すぐにその会社で面接が行われた。

会長自らが俺の面談をしてくれた。

 

 

 

「どうして、フィリピンのこどもたちを助ける活動をしているのですか?」と聞かれたので、俺の半生を語りました。

 

 

青木さんから、「ラップトップパソコンを持って行きなさい。」

「日本の中学校などでお話ししている原稿を、英語で話す時間をくださいとお願いしなさい。」と言われていました。

 

 

にっこり笑って「どうぞ」と言ってくれました。

ぼくの話が終わった後、会長さんは泣いていました。

 

 

「日本人を心から尊敬しています。」と言った後、「大変だったね。」と立ち上がってぼくの肩を抱いてくれました。

 

「うん、同情なのかな?」

「もしかして、ぼくは障害者枠か何かでの採用なのかな」と急に嫌な気持ちになり、身構えました。

 

 

「同情なんかいらないんだ。」

「絶対いらないから」

腹が立ってきました。

 

 

その場で試用期間が設定されました。

僕はイライラしながら聞きました。

「障害者枠での雇用ですか」と。

 

 

一般職での採用です。

「やったあ!!」とその場で立ち上がった僕です。

 

 

慌てて会長さんが言われました。

「正式な採用の通知ではありません。試用期間内に採用かどうかを決めますので。」と言われました。

 

 

僕は会長さんの話を全然聞いていませんでした。

というより、聞くことができないほど興奮していました。

丁寧に挨拶をして部屋を出たら、事務員の方が僕を追いかけてきました。

 

 

「やっぱり、採用しません。」と言われると思って怖くなった僕は走りました。

でもガードマンに捕まりました。

 

 

僕は持ってきた自分の荷物を一式全て部屋に忘れていたのです。

それほど興奮していました。

 

 

会社の外に出たら泣いてしまいました。

色んなことが頭を駆け巡りました。

 

 

ここまで来るのにとても長かった。

長かったな。

でもやったんだ。

 

 

「だから正式採用ではないんですって!! 」BY サポートセンタースタッフ

 

 

また明日。

 

 

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あるがままに。ヒロ

 

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研修会にて。9年前くらいですか。色々とご一緒いたしましたね。 

 

 

僕は程度の悪いアスペルガー

小学校と中学校にはほとんど通っていない。

いわゆる不登校児でした。

 

 

中学を出てからは非行に走り、なんども警察に捕まりました。

父はなんとかしなければと危機感を抱き、会社を休んでまでして、僕の支援先を探しました。

 

 

母には「大変だから、僕が仕事を休んで支援先を探すから」と安心させました。

 

 

要は「母親がこれ以上関わるともっと大変なことになるから、黙っていなさい。」という思いを優しい言い方に変えたというわけです。

 

 

そして医療、フリースクール、寺、などをたらい回しにされた僕です。

どこも僕には向いていなかったのです。

 

 

みんな優しい人たちでした。

それは本当のことです。

 

 

まあ、今思いますと、やはり、9時から5時という区切った支援では僕の様な状況の悪い人たちにはあまり効果がないというわけです。

 

 

家族の様に一緒に寝食を共にする様な支援でないとダメだったんでしょうな。

 

 

さて、そんな中、医師からサポートセンターを紹介していただきました。

 

 

「君にはうちでなく、サポートセンターの様な手厚い支援をしてくれるところが良いんだよ。」と先生は言いました。

これが僕のターニングポイントになるとは父も僕もその時は思いもしませんでした。

 

 

父はサポートセンターの青木さんに、メールでことの次第を報告し、その後お会いできたのはなんと4ヶ月後でした。

 

 

10数年前にはすでに、相談や支援の依頼が日本中から来ていて大変なことになっていました。

 

 

そして支援をしてもらえることになりました。

僕がサポートセンターの青木さんに会えるまでに6ヶ月もかかりました。

 

 

誰も信用していませんでしたからね。

世の中の連中はみんなおいらをバカにする。

これ以上傷つけられるのはごめんだと固く思っていましたからね。

 

 

でもまあ、会って、「こいつなら、俺をバカにはしないし、喧嘩をしても俺の方が強いな。」と思いましたんで家から出ることにしました。

 

 

これ以上家にいると、家に火をつけるか、誰かを殺めてしまうなと思っていましたんで。

 

 

でもさすがの青木さんも俺には手を焼いていました。

なんせ、支援生活30年の青木さんでも、結局父親に俺への支援を1度断ったんですから。

「僕たちではお力になれません。」と言って。

 

 

サポートセンターの歴史で1番大変な支援だったのはこの俺だということです。

だって毎日の支援で13年間ですよ!!!

こんな支援、日本中探しても俺だけでしょ。 

 

 

13年前、青木さんにはまだ毛が残っていましたからね。

確か支援を受けている人で、とても青木さんを慕っている青年がみんなに呼びかけて、「リアップ」をクリスマスプレゼントにしたいと言った奴がいました。

 

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みんなでなんとか青木さんの悲劇を食い止めたいと必死でした。

 

 

支援を受けているみんなが、青木さんに「まだ、諦めるのは早い。」というメッセージを送ったのです。

 

 

でも運命は皮肉です。

あまりにも無残な仕打ちに、「神は本当におられるのか」と嘆き悲しんだ僕たちでした。

 

 

しかし、僕たちは彼の姿に学んだのです。

 

 

「あるがままに」と。

 

 

また明日。

 

 

 

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父からの読み聞かせで言葉を学んだ僕 ヒロ

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  大学時代の友達。一緒にサポートセンターで働いています。

 

 

 

なんどもなんども過去のことを思い出しています。

思い出したくもない過去。

 

 

その過去の出来事が1場面、1場面、額に入った写真のように思えてきます。

 

何が僕に起こったのか?

それがどういう意味を持つのか?

 

 

過去の出来事を考えることは、混乱した僕の頭の中を整理することでもあるのです。

まあ、スタッフから聞かされていることをそのまま書いているだけですけれどね。

 

 

10年前には「過去のことなんか思い出したくもない。」と思っていた。

 

 

5年前には「全否定していた過去に違う意味を感じた。」

 

 

3年前には「過去を否定しなくなりました。」

時々思い出しては胸が締め付けられそうにはなっていたけれど。

 

 

昨日と今日でも僕の過去に対する見方は違ってきたりもします。

 

 

さて今日は父親のことを書きます。

出会う人たちから、「ヒロさんはたくさんの言葉を覚えていますね。どこで覚えたんですか。」と聞かれることが多いです。

 

 

ある中学校の校長先生がこう言ってくれました。

「ヒロさんには才能がありますよ。僕は国語の教員を長年していましたから、ぼくの目に狂いはない。」

 

 

それがお世辞ではないことを信じたい僕です。

 

 

僕がたくさんの言葉を覚えていたり、少しは読んでもらえるような文章を書くことができるのは父のおかげです。

 

 

父との思い出。

父は僕によく本を買ってくれました。

「マンガ日本の歴史」「マンガで読む世界の偉人伝」とか。

 

 

まあ全てマンガですけれどね。

買い与えただけではなく、一緒に読みもしてくれました。

 

 

声色や声のトーンを変えたりして、僕に読み聞かせてくれました。

それはとても楽しかったです。

 

 

切腹!!

「このうつけ者が!!」

大義であったの」

「片腹痛いわ」

 

 

父親の言い方を真似てなんどもなんども大声を出して、武士になったり、代官様になったりしていました。

 

 

 

それから父親は僕にたくさんの本を買ってくれました。

全てマンガでした。

でも僕はマンガで色々なことを覚えたのです。

 

 

でも父は会社で昇進するたびに、忙しくなっていき、僕に読み聞かせをすることもなくなったのです。

 

 

今、その時のことを思い出したんです。

思い出したきっかけはある人のTwitterの記事を読んだことからです。

 

ご本人様に転載許可をいただいています。

 

 

 

青木さんは「よくわかっている人だな。」と、とても感心していました。

 

 

青木さんはその人の違う文章を読み進めていくうちに「この人、専門職の人だよ!!」と感じ、プロフィールを調べたら「とても偉い人」だということがわかりました。

 

 

ヒルマさんといい、この方と良いすごい人たちが日本にはいるのです。

 

ヒルマさんの記事です。

   

 

everywhichwaytowrite.blogspot.com

 

 

青木さんはヒルマさんの記事を読んで泣いていました。 

 

 

 

学校の教育だけでなんともならない僕のような人たち。

やはり家庭での教育がとても大切なんですね。

 

 

小さい頃からこのような配慮が家庭で継続してなされていたら、「今頃僕は?」と考えてしまいます。

 

 

また明日。

 

 

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15歳の僕はレストランで暴れて警察署に連れて行かれた。ヒロ

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      新天地でお友達ができたそうでなりよりですね Mr.Joe

 

 

 

僕はていどの悪いアスペルガーな男。

29歳で今はフィリピンに住んでいます。

フィリピンに住んで今年で8年目になります。

 

父親と最後に会ったのは8年前です。

母親や他の家族とは13年間会っていません。

 

僕から逃れるために家を売り払い、どこか遠くに引っ越してしまいました。

青木さんも僕の家族の居所を知りません。

 

 

僕は母親の命を奪おうとした人間です。

ですから、母親が僕から逃れようとしていることを理解しています。

 

 

父はこんな僕に本当に一生懸命色々としてくれました。

中学を出た後に児童相談所から教えてもらった病院に僕を繋げてくれました。

 

 

でもその病院付属の施設で練習をしている人たちは「あああああ」とか「うううううう」とか一日中声を出している人たちでした。

 

 

僕は僕なりにその人たちと「ドラゴンボール」の話で盛り上がろうとしましたが、無理でした。

 

 

そのうちにそこに行くのが嫌になりました。

そして行かなくなりました。

 

 

家にいると母親がうるさく色々と僕に言います。

僕は働くことが怖かったんです。

 

 

「どうせまた失敗するに決まっている。」

「そしてバイト先でもひどいいじめを受けるんだ。」

「もうたくさんだ。」

 

 

でも僕のそんな気持ちを理解してくれはせず、とにかく母親から嫌がらせを受けました。

 

 

僕だけごはんを食べさせてもらえなかったり、みんなでモールに行って買い物に行くのに僕だけ1人にされたり。

 

 

僕の大切な「ドラゴンボール」のフィギュアを捨てられたりしました。

僕は本当に悲しかったです。

 

 

僕は怠け者ですか?

ぼくはどうしていいのか何もわからなくて、ただ家の外が怖かっただけなんです。

 

 

自信がついたら僕は真面目に働くんです。

でも母親は僕を毛嫌いしていました。

 

 

 

とうとう僕は母親の僕に対する扱いに切れてしまいました。

 

 

それは、家族でしゃぶしゃぶを食べに行った時のことでした。

僕だけ1人他の家族と離れたテーブルでご飯を食べます。

 

 

それは昔からそうだったんです。

理由?

はい、ありますよ。

 

 

僕は料理がテーブルに運ばれたらすぐに1人で全部食べてしまいます。

食べるときはすごいスピードで食べます。

だから、ぼくの口はいつも「リス」みたいでした。

 

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兄弟たちに料理を取られるんじゃないかといつも心配でしょうがありませんでした。

時には兄弟とレストラン内で殴り合いをしたこともあります。

 

 

それが理由で、いつからか僕だけ他の家族と離れたテーブルでごはんを食べるようになりました。

僕としては自分のペースで食べられるので嬉しかったです。

 

 

僕がレストランで暴れた時は、他の家族のテーブルには肉が運ばれましたが、僕のテーブルには野菜だけでした。

 

 

「肉がないぞ!!」と店内に響くような大声を出したら母親がこう言いました。

「働いていないものには、野菜だけだ。」

 

 

その一言でぼくは切れました。

足でテーブルをひっくり返して、母親の首を締めました。

「お前は死ね。早く死ねえ。」と泣きながら叫んだ僕がいました。

 

 

「ママが死んじゃう」と叫んだ妹の声を今でもはっきりと覚えています。

 

 

 

僕たち家族はもうどうしていいのかわからなかったです。

確かなことは、このままでは息子の僕が母親の命を奪ってしまうだろうということでした。

 

 

僕たち家族はこの社会の中で孤立していました。

ぼくたち家族は助けを求めていました。

 

 

パトカーが来て僕は警察署に連行されました。

また明日です。

 

 

 

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探し続けてください。子どもたちを助けてくれる人たちを。ヒロ

 

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高校を中退してしまったら、途端に支援は無くなります。

向こうから自宅に訪問してくれる人もいません。

 

 

待っていても誰も助けてはくれません。

だったら、こちらから助けてくれる人を探しに行くしかありません。

 

 

どこに行けば、発達障害の2次障害でひきこもったり、家庭内暴力が出ていたり、摂食障害だったり、いつもお母さんから離れられなくなっていたり、自傷行為をおこなっている人たちを助けてくれる人に会えるのでしょうか?

 

 

保健所、精神保健福祉センター、などが公的機関で相談にのってくれます。

公的機関では親の会を催していたり、講演会なども積極的におこなっています。

 

 

僕は行政主催の講演会でなんどもお話しさせていただく機会をもらいました。

それがご縁で親しくさせていただいている方もみえます。

 

 

その方たちは頭が下がるくらい一生懸命されていましたよ。

その熱心さに頭が下がりましたよ。

 

 

 

でも以前お母さん方との相談会で聞いた「窓口で、冷たい態度をされた。」という言葉に心が痛みます。

 

 

なんとか助けを求めていたのに、窓口の態度はとても冷たかった。

「そのことで心が折れそうだった。」

 

 

僕の父は海外出張が多く日々忙しくしてました。

母の代わりに、父が学校や児童相談所に行き、相談にのってもらっていたのです。

 

 

フリースクール、カウンセラー、医者。

ありとあらゆる場所に助けを求めに行ってくれたのです。

中には「随分ひどいことを言う人たちもいた。」と、しばらくしてから青木さんから聞きました。

 

 

父はわかっていました。

もう家族ではどうにもできないことを。

 

父は必死でした。

僕たち家族を助けてくれる人たちを探すことに。

 

 

児童相談所から紹介されたお医者さんは、親身になって父親の話をきいてくれるお医者さんでした。

 

 

父が「このお医者さんは優しくて、丁寧にお前の話を聞いてくれるから。」と、なんども促されて僕はそのお医者さんに会いに行きました。

 

 

確かにとても優しい人でした。

僕が学校生活の大変さを話している時も、目を閉じて話を聞いてくれました。
ぼくはこの先生が好きでした。

 

 

先生が言いました。

「ヒロさんに必要なのは日々の生活の中で、知らないことやできないことを、1つ1つ丁寧に教えてくれる人たちです。」

 

 

「そんな人たちが見つかるまで、ここに通って練習をしてみようか」と言われて、僕は病院併設の施設に通いました。

でも正直言って、とても退屈なことをやらされました。

 

 

一緒に作業をする人たちは僕とは違うと感じる人ばかりでした。

やがてぼくはそこに行かなくなりました。

 

 

父親はとても悲しそうな顔をしていたことを今でも思い出します。

 

 

明日につづきます。

 

 

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