発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ひきこもりからの回復にとりあえずのアルバイトは要注意 ヒロ

 

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今月で29歳。支援を受けて14年目に間もなく突入。

 

 

3人の人たちが来春からそれぞれの道を歩んで行く。

20年ひきこもった人。

30年ひきこった人。

 

 

それぞれの人たちの経済的自立がはじまるんだ。

働いた経験がない人が働くということは大変なこと。

 

 

だから、最初は「アルバイトでも経験して、慣れてから本格的に働くことを検討しましょう。」

 

 

そういう考え方もあるし、聞けば納得もする。

 

 

しかし。

しかしなんだ。

ひきこもっていた人が20代ならまだ良いと思うけど。

 

 

30代以上の人ならどうする?

中には、特性が強すぎて単純作業のアルバイトぐらいしかできないという人もいらっしゃるでしょう。

 

 

今回はその人達のケースを話しているんではないです。

まあそれは俺のことだけど。

まあ今回はその様なケースをお話ししているのではないです。

 

 

東大さんは56歳。

人生の終焉を迎えようとしている東大さん。

 

 

でも、青木さんはアルバイトはさせなかった。

最初から経済的自立を目指す方向を考えていた。

 

 

その理由の1つには、アルバイトを経験させる時間的余裕は東大さんには残されていなかったから。

 

 

だから、最初からスキルを身につけて、経済的自立を図らせようと考えたらしい。

そして、それは成功しつつある。

 

 

そこに到るまでには、サポートセンターのスタッフ達の涙ぐましい努力と、それを信じてついてきた東大さんの情熱が見えるんだ。

 

 

生半可な努力じゃなかったな。

俺はそれを間近で見ていたからね。

 

 

残念だけど、アルバイトはアルバイトでしかないとスタッフは俺に言った。

 

 

コンビニのレジの仕事も倉庫でのピックアップ作業も働くということは尊いことなんだ。

 

 

でも、そこで得られる経験の多くは次に繋がる経験ではないんだ。

単純作業は、人が持つ可能性を伸ばすことにはあまり貢献しないらしい。

 

 

そして、もうしばらくしたら、機械化の波があらゆる職種にまで及んでくる。

選択した仕事が機械に取って代わられないものを選ぶ必要があるんだとか。

 

 

「働き手が足りない」と言われている今という時代が、懐かしく感じられるようになる日がもうそこまでやってきている。

 

 

また、東南アジアから若年労働者を大量に入国させようという試みが何度もなされている。

 

 

俺の周りでも「日本政府はいつ門戸を開くんだ。」という問い合わせが尽きない。

闇夜に恐ろしいほどの数の人間がうごめいている感じがするんだ。

 

 

時代は大きく変わってきている。

 

 

ひきこもっていた人たちが、親亡き後も幸せに暮らしていけるように、経済的、精神的自立を考えた支援が求められているんだ。

 

 

なんか講演会でするお話のようでしたが、まあスタッフとの話し合いで書いたんです。

 

 

俺自身、書きたいことは山ほどあるんですけどね、それを言葉にすることがとても難しいんですよ。

産みの苦しみっていうやつですかね。

 

 

当分はこんな感じで書いていきたいです。

というか、俺自身書いたことの半分もわかっちゃいない気がします

 

 

で、書いていてなんかめちゃくちゃ気が重くなりました。

俺はこれからの時代を生き残れるのか。

それよりも結婚できるんだろうか。

 

 

稼がないと。

赤ん坊のミルク代がとても高いことに、驚いている最近の俺です。

 

 

 

 

 

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ひきこもりから一歩踏み出すには何が必要なのか。 ヒロ

 

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あのですね、いつまで昔の写真を使いまわしてんですか!!

 

ヒルマさんというとてもえらいお方が、おいらたちにアドバイスを送りつづけてくださっているんだ。

その人のブログを読んだ。

 

 

下記の文章を読んでみてください。

     ↓

 

 

everywhichwaytowrite.blogspot.com

 

 

正直、スタッフにも補助してもらってなんども何度も「これってこういう意味だよね。」と自問自答しながら読んだ。

 

 

「すごいな。」と思った。

当たり前か。

すごい人なんだからな。

 

 

で、もう俺は文章を書きたくなくなった。

俺の文章は幼稚すぎる。

俺もヒルマさんの様に賢くなりたいんだ。

 

 

まあ、落ち込んだらあかん。

前向いて頑張らんとな。

 

 

書き続けていけば、文章は上手くなっていくはずたがら、俺は書くことをやめないぞ。

 

 

 

 

で、親がメンターになるのはとても難しいことはわかっていましたよ。

家族関係が上手くいっていないのだから、それに「メンターになるのはどうですか。」なんて勧めるのは馬鹿げてますよね。

 

 

わかっているんですけれど、決して他人にお世話を任せようとしない親御さんには、この様なご提案しかないと思ったんです。

僕なりにかなり考えて書いたんですけれどね。

 

 

父親が変われば。

父親が寄り添って、少し先を照らしてくれれば、少しは本人に希望を与えやすいかと思ったんですよ。

 

 

だって、サポートセンターはこれでもかというくらい訪問しているんですよ。

東へ西へ。

 

 

北海道の先端から、沖縄の先まで、飛行機、電車、バス、徒歩とあらゆる手段を使って一年中訪問しているんですよ。

 

 

でも、ご本人さん達は、家から一歩も踏み出してくれないんですよ。

 

 

スタッフ達が渾身の力を込めて考え抜いた、支援計画。

ご本人さんに、明日への希望を具体的に見せてあげているのに。

 

 

だめなんです。

支援につながらない人たちがいらっしゃるんです。

 

 

このま、20年、30年とひきこもり続けるのを眺めているだけなのか!!

 

 

ご両親の死に際の最後の一言が「息子のヒロのことが心配だ!!」では悲しいではありませんか。

 

 

なんとかしたいです。

なんとかしたいんですよ。

 

 

どうしたら支援に繋がるのか。

 

 

「あれえ、東大さんは30年間のひきこもり、Mr.Joeや劇団兄いは20年、俊介兄いは10年間、それに50代男さんも最近加わったって書いてあるけれど、この人たちとつながったのはまぐれなんですか。」

 

とても良いご質問です。

つながったのにはわけがある。

そうなんです。

 

 

当事者の周りに橋渡し役をしてくださった方がいるんです。

そうしますと、ハゲに繋がるんですわ。

俺でいうと、病院の先生と父親ですかね。

 

 

連携プレーでサポートセンターに6ヶ月目でゴールインでした。

 

 

そんな橋渡し役がいないと中々難しいんですよ。

昔、比較的、仲のよかった親戚のお兄さん。

昔よく遊んでくれた、近所のお兄さん。

 

 

親戚のおじさん。

中学校の時に優しくしてくれた担任。

何かと心配してくれる、民生員。

 

他者と繋がるにはどうも仲介人が必要みたいです。

 

 

 

また明日。

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発達障害の僕は勉強が全くわからずひきこもった。 ヒロ

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僕は発達障害の二次障害でひきこもってしまいました。

そして家庭内暴力を起こしていました。

 

 

僕が二次障害を起こしたいくつかの理由。

 

 

1、学校の勉強がわからなかった。

 

 

ぼくは人の話を聞くのが苦手です。

ゆっくりと話してくれないとわかりません。

それと絵に書いてもらったりしないと理解は難しいです。

 

 

例えば、スタッフと明日のスケジュールに関して話し合いを持つ時も、まず表にしてもらったものを渡されます。

そして、それを自分で見て理解します。

 

 

そのあと、ぼくはスタッフに自分から話して説明します。

そして、今度はスタッフが説明してくれます。

 

 

ぼくが理解しづらいとわかったら、ホワイトボードに僕が理解したことを書くか、スタッフが書きます。

 

 

ここまですると、いや、ここまでしないとぼくには理解できないです。

 

 

小、中学校の時は大変でした。

だって、先生は生徒に話しながら、板書しながらですから。

 

 

ぼくは先生の話を聞けばいいのか、それとも黒板に書かれたことを写すのか?

 

 

周りを見ていると、みんな一生懸命先生が黒板に書いたことを書き写していました。

でも先生は、書いては消しての連続なんですからたいへんでした。

 

先生の言っていることがなにも理解できませんでした。

これはぼくだけではなかったことを、サポートセンターに来て知りました。

 

 

特に青木さんは、板書ができなくて、イライラして、ノートをビリビリに破ってしまったり、教室の自分の机を思いっきり叩いたりしていたらしいです。

 

 

それで、二度目の高校生活の時に、前からやりたかったことをしました。

 

 

それは、数学、英語、生物、物理。

この4教科の教科書を高校受験浪人中からすべて自主的に勉強してしまったのです。

 

 

とにかくもう授業を聞くときのあの苛立ちから解放されたいの一心からだそうです。

 

 

それで高校一年時の授業中は自分で持参した難しい問題集を授業時間に勝手に解いていたらしいです。

 

 

青木さんの二度目の高校は進学高でしたが、先生たちから、もっとレベルが高い高校に移りなさいと嫌みを言われていたそうです。

 

 

そんな発言に傷ついてどうすれば良いのかわからなくなってしまったそうです。

でも確かに青木さんは変な生徒だったと思います。

 

 

 

その話を聞いて、本当に僕にしても青木さんにしても、とても生きづらい生徒だったんだなと思いました。

 

 

どうすれば良いのかわからず、立ち往生してしまった青木さんです。

 

 

そんな時に、寄り添いながら今の状況を整理して、どうすれば良いのかを一緒に考えてくれる人がいたら、良かったんです。

 

 

でもそんな人はいなかった。

だから、せっかく喜んで入学した2つ目の高校も行けなくなってしまったんです。

 

 

勉強も良くできて、部活動でも活躍して、生徒会活動も頑張ることを夢見ていた青木さんは結局、不登校のまま高校をお情けで出させてもらいました。

そして卒業後ひきこもって自殺未遂をしてしまうのです。

 

 

自分が思い描いていた生活とは全く違う状況になったことに失望して。

もう希望なんかありはしないと自分で判断して。

 

 

希望はいっぱいあるのに。

ただ、希望があることを知らずに今もひきこもっている人や家庭内で暴れている人たちがいます。

 

 

希望を伝えたい僕たちです。

 

 

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こんな方法で家庭内暴力に向かうのはどうですか ヒロ

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これだけ「家庭内暴力」というテーマで書き続けたので、検索に引っかかりやすくなったのかもしれません。

 

 

日本全国からご相談や支援の依頼をいただいています。

ありがとうございます。

 

たくさんの人たちからお礼のメールをいただきました。

 

 

でも、何か違和感を感じるメールがいくつかありました。

一生懸命こどもの為に尽くされているのですから、できたら効果があることをされた方が良いと思います。

 

 

いただいたメールの中で数人の方が「子どもの為に良いおかあさんになれるように頑張りたい。」

「早速子育て勉強会に通い始めました。」

 

 

そんなようなメールがありました。

 

 

子育て勉強会で勉強することは良いことなんでしょうね。

でもおいらが思うのは、今のこの状況でそれをやるんですか?

ということなんです。

 

 

どう接して良いかわからないので、勉強したい。

今までの接し方が間違っていたと思うから、より良い対応をしたいので。

そう言った理由からなんでしょうね。

 

 

 

でも今家庭内暴力を振るっている子どもは待ってはくれませんよ。

 

 

今できることをまずはやってみましょうよ。

それは何かと言いますと、こどもの状況を考えてみることです。

 

子どもの悩み

 

  • 友達とうまくやっていけない
  • 勉強が全くわからない。
  • 顔や体に自信が持てない。

欄外として、異性の問題があると思います。

 

誰でもこのどれかが当てはまるのでしょうか。

 

 

まあ俺的にはらんがいの異性関係がトップに躍り出ることもあるだろうな。

 

 

または、順位づけではなく、1から欄外までの問題が重なり合っているとも思えます。

 

 

で、こどもの問題がたぶんこうなんじゃないかとわかってきたら、どうするのか。

 

友達とうまくやっていくにはどうすれば良いのかを考えてみましょう。

 

 

例えば、ぼくは小汚かった。

歯を磨かない。

風呂に入らない。

服を着替えない。

 

そうしますと思春期特有の強烈な匂いを周りに発散します。

誰も近寄らないでしょう。

 

だったら、風呂に入ることや服を毎日着替える事は社会のルールなんだと覚えさせてみましょう。

 

「そんなこともわからないのか」と愕然とするご両親です。

わからないことは教えればいいだけです。

 

 

それだけのこと。

いつまでもできないことを、そのままにしないこと。

 

 

勉強がわからないなら、「一緒に勉強したい。」と言ってみませんか。

「誰がてめえ何とか一緒に勉強なんかするもんか。」と言われてしまうかもしれません。

 

それでも諦めずに、一生懸命学校の教科書を広げて、やってみませんか。

 

顔や体に自信が持てない。

太っているなら、「一緒にジムに行かないか。お父さんひとりでは心細いからな。」そんなふうに誘ってみるとか。

 

息子さんに香水を買ってきてあげる。

「この香りがいいんだ。」ってね。

 

 そうしたら少しはお父さんを見直すかもしれません。

 

 

 こんなふうにできれば、息子さんの家庭内暴力がなくなるかもしれません。

 

 

 

要はやっぱりヒルマさんがおっしゃっているように、メンターがいるかどうかなんでしょうね。 

 

 

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希望はある。この人を見よ。ヒロ

 

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 いやマジで尊敬しています。早くフィリピンに帰ってきてくださいね。

 

 

東大さんの評価がうなぎ上りに上がっている。

2013年にフイリピンに上陸した東大さん。

その時から俺は東大さんを知っている。

 

 

大変だったな、あの時。

フリーザじゃなくてフリーズばかりしていたから。

矢継ぎ早に「ああして、こうして。」とスタッフたちが東大さんに話しかけたわけじゃない。

 

 

そこは、支援歴が長いサポートセンターのスタッフたち。

丁寧に、丁寧に、優しく、ゆっくりと東大さんに合わせるかのように話しかけていた。

しかし、フリーズ三昧の東大さんだった。

 

 

あっという間に10日間は過ぎて、東大さんは日本に帰って行った。

 

 

いつも思うんだ。

フィリピン体験ツアーをやって帰国時にその人たちの顔を見るとみんな、もう二度とフィリピンには来ないだろうなと俺は感じている。

 

 

悲しい顔をしているのではなく、期待はずれだという顔でもなく。

無表情な人がほとんどだ。

「お前は、どうだった、バカヒロ?」

 

 

はい、おいらは日本に帰る時泣きましたね。

スタッフにも確認しましたが、めずらしく泣いた人にあったとのこと。

 

 

東大さんとはもう二度と会うこともない。

「天国に行く前に良い思い出になってよかったな、東大さん」と思っていた俺。

 

 

そんな東大さんが1ヶ月もたたないうちに、フィリピンにに帰ってくると聞いた時、おどろいた俺。

 

何しにくるんだ、こんなへんぴなところにって。

 

 

しかし、そこから東大さんの回復物語は始まるんだ。

現在支援を受けて5年目が始まっている。

 

 

毎日のようにスタッフからこれでもかと注意を受けていた東大さん。

 

 

誰もいないところで、泣いていたのを俺は見ている。

誤解しないでくださいよ。

サポートセンタースタッフは世界一当事者に理解ある人たちだ。

 

 

だから、東大さんの泣いた理由は、ひどいことを言われたとかじゃないんだ。

 

 

あとで聞いたら、できないことが多過ぎて、こんなに自分が役だたない人間だったということに気づいて悲してく泣いたんだって。

 

 

そんなこんなで4年間。

毎日休みなく、東大さんを支援し続けたスタッフたち。

 

 

そして、決してめげることなく、失敗しても、失敗しても、再び立ち上がった東大さん。

 

 

その評価がうなぎ上りに上がっている。

来春就職の約束がなされている。

そして落ち着いたら結婚も考えている。

 

 

東大大学院終了後引きこもって30年近く。

家からほとんど出ることもなく、家族以外の人との交流も持てなかった東大さん。

 

 

そんな東大さんの幸せがこれからはじまるんだ。

 

 

 

ある時、街中を歩いていたら、東大さんファミリーにすれ違う俺。

 

 

長女の手を握っている東大さんは微笑んでいる。

ベビーカーを押していいる奥さんのお腹には3人目の子どもの命が宿っている。

 

 

おおおおお、頑張ったな東大さん。

おんとし56歳。

 

 

年齢は数字だけのこと。

フィリピンでよく聞くフレーズ

 

 

そんなことを想像したら、なんだか心が暖かくなった。

 

 

希望はある。

この人を見よ。

 

 

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家庭内暴力経験者の総括 ヒロ

 

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中学の講演会でお花をいただいた、卒業したという気分を味わった。 

 

 

俺は中学の勉強が全くわからなかった。

何がわからないのかさえわからなかった。

 

 

中学の数学と英語をフィリピンに来てすぐにやり始め、一年半で徹底的にやり直した。

この時が一番辛い時だった。

 

 

壁にいくつもの穴があいた。

あまりにもできない自分に腹がたった。

 

 

インターナショナルハイスクール、大学を卒業した。

中学の時に感じた虚無感は今は感じない。

 

 

 

俺はゴミだ、バイ菌だと言われていた。

「早く死んでください。Byクラス一同」と書かれた色紙をもらったことがある。

 

 

一番悲しい思い出は修学旅行での班を作る時、誰も俺を仲間に入れてくれなかった。

そして俺は学校に二度と行けなくなった。

 

 

日本から海外に避難したんだ。

そして恐る恐る行ったインターナショナルハイスクールで予想に反して、生まれてはじめて友達ができた。

 

 

大学では人間の彼女ができた。

「お前には猿の彼女しかできないな!!」

そんなことを言われていたことを思いだして、吹き出した。

 

 

家庭内暴力

暴れるのにはわけがある。

 

 

こんなに大変な目に遭っているのに、両親は何もしてくれない。

何も気づいてくれない。

返ってくる言葉はトンチンカンチントンチンカン。

 

 

一番わかって欲しいおかあさんにわかってもらえない悲しさ、寂しさは増していくばかり。

 

 

それどころか、俺が学校に行かないことで、おかあさんが悩み苦しんでいる姿に、自己嫌悪。

 

 

「暴力に訴えるのではなく、言葉で言えばいいんだよ。」

したり顔で、優しく話すカウンセラー。

その微笑がえしに無力感増大。

 

 

俺は暴れなくなった。

それどころか、怒ることさえなくなった。

変わったんだ。

 

 

「気持ちをコントロールする練習をしましょう。」と言ってくれた、病院の人。

 

 

そうなんだ、俺は気持ちをコントロールすることができるまでに変わったんだ。

変えてもらったという方が正しいな。

 

 

それどころか、俺は母親を許すことができた。

愛という名のもとに、子どもである俺にした数々の暴力や暴言。

それらを許した?

 

 

いや、許したという程度ではないな。

そうせざるをえなかった母親という存在を受け入れることができたんだ。

無条件でね。

 

 

母親から許しをこうようなことがなくても、俺はいっさいがさいを受け入れることができたんだから。

それが今の俺。

 

 

正直、10数年前の俺が暴れていたことを思い出せなくなってきている。

警察に何度お世話になったのか。

そのことも忘れかけている。

 

 

僕は家庭内暴力から解放された。

そして新しく生まれ変わったかのようだ。

 

 

そこまでくるのに13年間の支援を受けた。

それもあり得ないような豪華版の支援なんです。

マンツーマンの24時間支援。

 

 

それくらいしないと、俺は変わらなかった。

それがなければ、今頃は確実に塀の中にいるはずだ。

 

 

家庭内暴力の状況も各家庭でそれぞれだ。

一概にこうすれば家庭内暴力がなくなるなんていうものは残念ながらない。

 

 

でも経験者として言えることはある。

 

 

これ以上おたがいに傷つかないために、どうか親と子の距離を置いてください。

 

 

そして、お子さんのメンターを探してあげてください。

いつかおたがいが歩み寄れるときがくることを期待していいんです。

 

 

僕みたいにひどい状況になってしまうと、もうご両親でなんとかしようなんて考えても無理だと思いませんか。

 

 

これでぼくはもう家庭内暴力のことを書く必要がなくなりました。

 

 

今まで長い間、同じような内容にお付き合いくださいました、ブログを読んでくださっている皆さま。

 

 

そして、ヒルマさん。

 

最後にいつもそばにいて、盤石な支援体制を24時間でフルサポートしてくれている、サポートセンターのスタッフたちにお礼を言います。

 

 

たくさんの人たちに禿げ増されて僕も禿げも感謝いたします。

 

 

ぼくは禿げてはいない。

白髪になるタイプなんだな。

 

 

また明日から一生懸命違う話題でブログを書きますんでどうぞよろしくお願いします。

 

 

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家庭内暴力のその後 ヒロ

 

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俺はインターナショナルハイスクールを卒業した。

良い成績ではないんだ。

ギリギリかもしれない。

 

 

でも卒業できたんだ。

単位が揃って、俺が高校を卒業できるとわかった時、いちばんに思ったのは両親のことだった。

 

 

青木さんに直訴した。

親にインターナショナルハイスクールを卒業できると伝えて欲しいと。

 

 

なかなか青木さんから返事が来なくて、なんどもなんども青木さんに両親からの返事はまだかと聞いたんだ。

 

 

青木さんも困った顔をしていたな。

 

 

卒業式の前日に青木さんが父親からのメールを見せてくれた。

その文面は俺が期待していた内容とは違っていた。

 

 

なんどもなんども父からきたメールを読み直した。

数行のメールの中に、何か父親の思いが隠されているのではないかと思ったから。

 

 

卒業式が終わって、俺は青木さんに直訴した。

「日本に帰って、両親の目の前で卒業証書を見せたい。」と。

数日経って青木さんから衝撃な事実が伝えられた。

 

 

すでに俺の家族は自宅を売り払って、日本のどこかに引っ越してしまっていた。

 

 

俺に関する全ての物が、サポートセンター事務所にダンボール数箱に詰められて送られてきていんだ。

 

 

小さい時の俺の写真。

16歳で家を出た時の、その時の俺の部屋にあった一切がっさいの物。

 

 

そのことを青木さんは卒業後に俺に伝えたんだ。

無事卒業できるためにとね。

 

 

恥ずかしい話だが、俺は泣いた。

人目もはばからず泣いたんだ。

今から6年前の話だ。

 

 

高校を卒業した俺は、大学進学を決意した。

大学を卒業できたら、こんどは大学の卒業証書を家族に見せたい。

そう思ったから。

 

 

そうしたらきっと、家族は俺を許してくれるかもしれないと思ったんだ。

おまけに俺を褒めてくれるかもしれないと思った。

 

 

今年俺は大学を卒業した、成績は高校卒業時より上がって、全体の真ん中あたりらしい。

 

 

5年前のあの時のような家族に対する熱い思いは俺の中にはなかった。

 

 

青木さんに両親への報告をお願いしようかどうかも決めかねていた。

結局青木さんが気を利かして両親のメールBOXに卒業の報告をしたんだ。

 

 

帰って来たのは数行のメール。

しかし、高校の時と同じではなかった。

 

 

俺が海外の大学を卒業したことへの驚き。

その努力を讃えてくれていた。

 

 

しかし、再び家族と会えるという期待は持たないで欲しいとも書かれてあった。

 

 

その文面から俺がしでかしたことの重大さを改めて感じた。

 

 

16歳のあの時の記憶が蘇った。

両親は未だにあの悪夢のような日々の記憶から解放されていなかったんだ。

 

 

俺の中では、あの記憶がすでに消えかかっているというのに。

 

 

 

明日最後の文章を書きたいです。

もうこれで俺の中にある家庭内暴力のことはおしまいにできそうです。

 

 

なんどもなんども同じテーマでくどいほど書いて来ました。

それは、俺の心の中にある混在したいくつかのものを、くっつけたりして整理するような作業だったということに気づきました。

 

 

それはヒルマさんに言われて気づいたんですけれどね。

 ありがとうございます。

 

 

 

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