発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

言葉が出なかったまー君の回復 まる

f:id:smilehousejapan:20140410104402j:plain

 

 

 

東大さんこと大野さんは学校の授業が朝から、夜まであります。

休みがない週もあります。

 

 

また授業がない時間は、ひきこもっている人たちに手紙やメールを書いたり、訪問などを積極的にしています。

 

 

今回は続きを楽しみにしてブログを訪れた方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

少し風邪をひいてしまい体調がよくありませんので、ブログの続きをお休みさせていただきます。

 

 

今日は私が書かさせていただきます。

 

 

さて、ひきこもりから回復し社会に繋がる為に日夜みなさん頑張っています。

 

 

私はスタッフの一員として、そんなみなさんが日々成長できますように環境を整えることをしています。

 

 

もちろんいくらその人が頑張れるような環境を作って差し上げても、その人自身が前向きにこつこつと課題をこなしていかなければ、回復には至りません。

 

 

そんな中、本日は頑張っている一人の青年をご紹介したいと思います。

当事者が誰かわからないように少し設定を変えています。

 

 

名前をまー君とします。

まー君は中学校から不登校になり、以来ひきこもりになってしまいました。

 

 

スタッフが手紙を書いたり、訪問をしたりして、なんとか彼と繋がることができました。

 

 

16歳の彼はまったく自信を持ち合わせていない少年でした。

他人と話すことを怖がり担当しているスタッフだけと唯一会話がなんとかできるという状態でした。

 

 

会話と言っても、当初は言語を通した会話ではなく、頭を縦に振って「はい。」横に振って「いいえ。」と言う程度でした。

 

 

とにかく当事者との信頼を構築していく為に、スタッフはできるだけ多くの時間をまー君と一緒に過ごしました。

まるで家族のように。

 

 

お昼ご飯、喫茶店、バイキング料理、食品買い出し、映画、美術展、シルクドソレイユ、服を選びにデパートへ、コンビニでの買い物、深夜のラーメン屋台、カラオケ、公共料金の支払い、銀行口座開設、宅急便の荷物発送

 

 

ハイキング、高齢者宅でのお手伝い、外国人との交流会、ひきこもり研修会参加、日帰り旅行、一泊旅行、ユニバーサルスタジオ、ディズニーランド、ボランティア、神戸ルミナリエ、釣り・・・・・・。

 

 

5年間毎日家族のように一緒に過ごし少しでも多くの経験を積ませてきました。

お正月もお盆もいつもスタッフと一緒でした。

 

 

言葉がない会話から徐々に言葉が生まれてきて、5年たった今は、普通に会話がなされるまでになりました。

 

 

昨年の夏に初めてのアルバイトに行きました。

アルバイトに行きたいと周りに言い始めてから実行するまで半年間かかりました。

 

 

そんな彼は今、週に3日間働いてお金をかせいでいます。

 

 

自分で稼いだお金で、欲しかったI Phoneを買いました。

みんなが持っているというI Phone が欲しかったそうです。

でも買った当初はメールをする相手がスタッフしかいませんでした。

 

 

今ではアルバイト先で知り合った人と友達になったそうです。

その人と一緒に週末は映画を見に行ったり、名古屋の街をぶらぶらしているそうです。

 

 

身近な今後の目標は月から金まで9時から5時までの仕事をこなすことです。

 

 

その体験をしましたら、次は学校に戻ることです。

まだ年齢が若いので、可能性は十分にあります。

同世代とは離されてしまいましたが、まだ挽回は可能です。

 

 

もちろん同世代と比較するのではなく、自分の幸せを掴んで欲しいと願う私たちスタッフです。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。    

 

 

 

なぜ30年間のひきこもりから一歩踏み出せたのか 東大卒 大野隆

f:id:smilehousejapan:20170616105539j:plain

        30年ぶりに訪れる決心をしました。 

 

 

 

義兄が僕のことを心配して、テレビ番組で見たサポートセンター名古屋に支援を依頼しました。

 

 

依頼した後で、僕に報告をしたのです。

僕は何も返事はしませんでした。

 

 

どちらにしても会うつもりもないし、支援してもらうつもりは全くありませんでした。

 

 

しばらくして、自宅にハガキが届きました。

内容は僕の状況を問うことや、できたら会いたいということが書いてありました。

 

 

今にして思えば、ありがたいことなのです。

感謝すべきことなのです。

しかし、僕はその文面を読んで、非常に腹がたちました。

 

 

最近、義兄から聞いた話では、普段は感情を全く出さない僕がおこっている姿を見て、母はとても不安になったそうです。

 

 

それで、義兄にハガキを送るのをやめるように指示を出したそうです。

 

 

しかし、今という機会を逃したら、僕が本当に命を落としてしまうのではないかと危惧した義兄は高齢の母を説得したのだそうです。

 

 

それから毎月必ずハガキが来ました。

2週間に一度の割合で。

 

 

最初の頃は目を通していましたが、だんだんと僕の怒りは強くなっていきました。

 

 

東大も卒業したのに30年間ひきこもっている人間を小馬鹿にして何が楽しいのか。

こんなにも弱さを覚えている人間に対してすることではない!!

 

 

うまく言いくるめて、精神病院に送るとか、施設に入れて強制労働をさせるのではないかと勘ぐりました。

とにかく、ハガキの存在がだんだん大きくなっていきました。

 

 

夢でうなされることも出てきて、もう限界と感じて、僕は義兄に電話をして、「今すぐハガキをやめさせろ!!」と強く言ったのです。

 

 

言い終わった後、肩で息をするくらい力を入れていました。

 

 

こちらから頼んだので、断りづらいんだ。一度でいいから、会って直接断ってくれないか」義兄は優しくゆっくりと僕に話しました。

 

 

これは結局、僕が他人と繋がるための義兄の戦略でだったのです。

その時の僕には気づくことはできませんでした。

 

 

「わかった!!いますぐにでもあいつに会って、やめるように警告するから。」

 

 

そうして僕は成り行きで、30年近くぶりで、家族以外の人と会うことになりました。

 

 

その日がちかづくに連れて、眠ることができなくなってきました。

食欲もありません。

胃が痛くてしかたがなかったです。

 

 

発狂しそうにまで追い詰められました。

当日の朝、母から携帯電話を借りました。

何かされたら、すぐに警察に助けを求めるためです。

 

 

ポケットに果物ナイフを隠し持とうかどうか家を出る直前まで悩みました。

 

 

本当に怖かったのです。

怖くて、怖くて仕方がありませんでした。

 

 

なぜなら、僕は他人から何をされても、世間はそれを許すような人間なんだと自分で信じこんでいましたから。

 

 

 

2013年3月、30年ぶりに家族以外の人と会いました。 

この時から僕の第2の人生がスタートしたのです。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。    

 

空白の30年間から一歩踏み出した僕。 東大卒 大野隆

f:id:smilehousejapan:20161216101303j:plain

 

 

 

僕は30年間自宅にひきこもっていました。

ひきこもり当初の20代はまだなんとかしようとしていました。

その時は塾のアルバイト講師を考えていました。

 

 

街で見かけたアルバイト塾講師募集のチラシに目がいったのです。

しかし、そのチラシの前で立ち止まってじっくり見ることはできませんでした。

 

 

「あの人、東大まで出たのにアルバイト塾講師なの?」周りからそう思われるような気がして怖かったのです。

 

 

(塾講師に偏見を持っているわけではありません。就職せずにアルバイトというボジションに対して自分は情けないと思っていただけです。)

 

 

それで、深夜に家を出て、そのチラシを見に行きました。

そして住所も控えました。

 

 

翌日出勤時間が終わった頃にその塾が入っているビルを探しに行きました。

 

 

塾が入った雑居ビルの前を通り過ぎて確認だけしました。

立ち止まると「あの人、東大まで出たのにアルバイト塾講師なの?」と思われる気がして怖かったのです。

 

 

 

しかし、結局面接には行けませんでした。

怖くていけなかったのです。

いけなかった情けない自分を肯定する作業が必要でした。

 

 

 

「アルバイト塾講師ではなく、医師を目指すべきだ。」

「いや、弁護士か。」

そうやって、自分の問題を先送りして、自分にま向かうことをしない日々を送っていました。

 

 

 

さすがに50歳の誕生日が近づいて来た時、自殺することを真剣に考え始めました。

「このまま生き恥を晒すことだけはしたくない。」

「だから、存在を消し去るんだ。」

 

 

 

そう思っても実行に至るまでにはなりませんでした。

「死ぬことさえできない。」

八方ふさがりでした。

 

 

そんな時に、青木さんから会いたいというお誘いのハガキが送られてきました。

 

 

今思えば、再起への絶好の機会です。

しかし、その時の僕には、もうそのお誘いに応答するだけの気力も残っていませんでした。

 

 

6ヶ月間ハガキは送られ続けてきました。

毎月送られてくるハガキは無視していました。

 

 

しかし、無視しても無視しても、毎月送られ続けてくることに、とても苛立ったんです。

 

 

そして、僕は大きな決心をすることにしました。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。    

 

僕は生きている。 東大卒 大野隆

f:id:smilehousejapan:20160915021647j:plain

 

 

僕は東大大学院を終了しました。

そう言うとみんな「すごく頭が良いんですね。」と判で押したような回答が返ってきます。

 

 

しかし、「でも30年近くひきこもっていました。」

そう言うと、「えっ、何があったんですか?」や「本当ですか?」という返事をいただきます。

 

 

そして、相手の人が戸惑ってしまうありさまが見えます。

困りますよね。

「東大まで出て、30年間ひきこもってしまった人」が目の前にいると。

 

 

次に、僕の頭のてっぺんからつま先までじろじろと見る人たちがいます。

 

 

「30年間もひきこもっていたんだから、きっと服装もおかしいし、見た目はやはりそれとわかるはずだ。」と思っているんでしょうね。

 

 

確かに、青木さんと初めて会った4年前の僕は誰が見てもおかしかったと思います。

 

 

同じ服をずーっと着ていたり、グレイや黄土色の服しか着ていませんでした。

自信がないと自然とそうなります。

 

 

髪も自分でハサミを使って切っていましたから髪型が変です。

床屋に行くのが怖いんですよ。

行くとしたら、電車に乗って何駅も離れた場所しか無理ですね。

 

 

それでもやはり無理だな。

「ご近所ですか?」

「ご家族は?」

 

 

そう聞かれるのが怖いのです。

何もないから。

答えようがないのです。

 

 

だから自分で髪の毛を切っていました。

同じように病気になったら負けだと思っていました。

歯医者でも同じような会話がなされるので。

 

 

また、お金を稼ぐということを一切していない僕が、他の人たちが汗をかいて働いて収めた税金で、医療にかかることにもとても抵抗がありました。

だから絶対に病気にはならないと決めていました。

 

 

僕はどうしらいいのか?

何をすればいいのか?

全く身動きが取れませんでした。

 

 

月日が経つのはあっという間です。

30年間同じ日々が続きました。

 

 

4年前にこんな状況でも希望はあるということがわかり、それから社会参加するために毎日頑張っています。

30年間のひきこもりに終止符を打ったのです。

 

 

時々、朝目覚めると、「回復している夢を見ていただけなのでは。」という強い不安が襲ってくることがありました。

 

 

 

「大野です!!青木さん、いますか?」

目覚めたあと、慌てて携帯を取り出して、青木さんの携帯に、「今を確認するため」に電話したことが何度かあります。

今になって初めてあかすことです。

 

 

今は、フィリピンの地で新しく人生をやり直しているのです。

今年の後半は就職活動をフィリピンでします。

 

 

そして、来年からは仕事につきたいと願っています。

56歳になって初めての就職です。

 

 

 

先日、学校の授業が終わって、自分の部屋に帰る途中。

名古屋駅前の大きな交差点を渡りました。

退社時間と重なってたくさんの人、人、人。

 

 

 

交差点内でたくさんの人たちとすれ違う瞬間。

「僕もみなさんと同じ一員なんですよ !!」

そう叫びたい自分がいました。

 

 

そんな感情が僕を支配したのです。

恥ずかしい話、泣いてしまいました。

 

 

 

僕はひきこもっていません。

希望を持っています。

働きたいのです。

 

 

2017年6月13日。

僕は生きています。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。    

 

同じアスペルガーなのにこんなに違うとは ヒロ

f:id:smilehousejapan:20170613105855j:plain

 

 

規則正しい生活を送る。

周りの人とそこそこうまくやっていく。

人生を前向きに過ごす。

 

 

 

これが僕に求められることです。

そして、そのことに対して一生懸命に努力しています。

 

 

しかし、ゴールが見えないことが、僕の心の中にある不安を増していく。

 

 

どこまで走ってもゴールが見えない。

もしかして、反対方向がゴールじゃないのかとさえ思うこともある。

とにかく早く安心したい。

 

 

ここまで来たら頂上まであと◯◯とかわかればいいんだけれど。

 

 

アスペルガーと診断された人をお世話しています。

高校でつまずいた人です。

そして家にひきこもってしまった。

 

 

家族との関係もうまくいかない。

よくあるパターンです。

しかし、アメリカが良いということ。

 

 

それでまあ英語を1年間勉強して次のステップに行くと考えている。

 

 

英語は自分で勉強したらしくて、今までフィリピンに来た人の中ではダントツよくしゃべることができる。

 

 

もちろん語彙とかはまだ少ない。

 

 

しかし。

「話したい。聞きたい。」という気持ちがとてもよく出ているので、授業に慣れるのにはそんなに時間がかからないだろうと思っている。

 

 

そんな中で、僕たちが彼の中で修正しないといけないと考えていたこと。

 

1、ゲーム依存

2、規則正しい生活

3、他者とそこそこの交流ができること

 

 

で5泊6日の旅に出た。

彼を部屋から連れ出して旅に出た。

彼が望んだ「波乗り運動」をしに行ったんだ。

 

 

結果を言います。

1、ゲーム依存ありませんでした。

  タブレットであいた時間にやるくらいは良いでしょう。

2、7時に起きて、8時に朝食、お菓子も食べませんでした。

  本人の申告ですが、夜は10時就寝。

 

3、「波乗り運動」のインストラクターや現地ホテルの従業員との交流も積極的に英語でやっていた。

 

 

強すぎるこだわりも今回は見られなかった。

「問題なし!!」と言いたい。

 

 

まあ、あえていうなら人との会話をスムーズに話すことにはまだ練習が必要なんだ。

 

 

って、俺が言うことか!!

 

 

はっきりいって、とても羨ましいです。

行っていた高校は東大さんをも「おおおおっ」とうならせた高校に通っていた。

 

 

東大さんが、彼と話したら、「僕は必要ないですね。」といじけてしまった。

 

 

「運動神経はダメだろうな。」とスタッフ全員が思っていた。

しかし・・・・・・。

 

 

「本当に今回が初めての波乗り運動なのか?」

インストラクターたちから、何度も質問されたんだ。

つまり、抜群に波乗りがうまかった。

 

 

「難しいと思ったけれど、案外簡単なんだ。」

「今度はショートボードに挑戦して、あの波の間をくぐり抜けるようなことをしてみたいな。」と言い出す始末。

 

 

すいすいすーい。てな具合だ。

このことに気をよくしたアメリカンボーイはダイビングの免許も取りたいとか言い出した。

 

 

スタッフ一同緊急会議だ。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。    

 

アスペルガーなアメリカンボーイの凄さ。 ヒロ

f:id:smilehousejapan:20170612105228j:plain

 ここに拠点を作るという話は本当ですか?まさか、僕が現地駐在員?

 

 

僕たちは発達障害の2次障害でひきこもったり、家庭内暴力がひどい人たちをお預かりして、お世話しています。

 

 

過去の僕がそうでした。

ひどい暴力で何度も警察のお世話になりました。

母親に大怪我を負わせてしまい、それで家族と離れることになりました。

 

 

今、お世話している人たちの背景は様々です。

僕と同じように警察に何度もお世話になった人もいれば、暴力は全然ないけれど、ひきこもっていた人もいます。

 

 

さて、アメリカンボーイの旅行が終わりました。

僕たちは自分たちのホームタウンに帰ってきました。

僕にしてみれば6泊7日の旅でした。

 

 

「サーフィンをしてみたいんです。」とアメリカンボーイから言われました。

そして、ご両親にお話しして、了解をいただきまして、お連れした次第です。

 

 

しかし、お世話している人たちの多くは、突然「やっぱ、いかないです。」とか言うんです。

「もうチケットも部屋の予約もいれてあるんだよ。」

 

 

そういうと、黙り込みます。

まあ、こんな状況の人たちですから、ここに来て僕たちがお世話しているんです。

だから、そんなことで感情的になったらおしまいです。

 

 

しかし、僕は感情的になります。

「もう、嫌だ。自分の好きにすればいいじゃない。」

そんな風に突き放したくなります。

 

 

しかし、サポートセンターのスタッフ達は怒りません。

感情的にはなりません。

落ち着いて、彼らに向き合います。

 

f:id:smilehousejapan:20170612105400j:plain

 

 

「アメリカンボーイは、サーフィンをやりたいと何度も言っているが、実際に波を見たら、やらないかもしれない。」

 

 

「そう思ったから、2泊3日にしたんだ。」

「まあ、ちよっとサーフィンをしましたでいいとしよう。」

 

 

事前のスタッフミーテイングでの話し合いで、みんなで予想を立てていました。

 

 

 

見事に僕たちの予想は外れました。

彼はサーフィンの場所に到着するや否や、「今からやります。」と叫んだんです。

 

 

しかし、ひどい雨です。

まずはスタッフ達が、その場所が安全かどうか実際にやって試さなければなりません。

 

 

だから、彼のサーフィンは明日以降になりました。

納得がいかないという顔をしている彼です。

 

 

初めての場所は危ないので、スタッフが安全を確認します。

「僕たちはあなたが怪我をして欲しくないから、明日にしましょう。と言っているんですよ。」

 

 

「わかりました。」と素直に返事をする彼です。

「あれ?こんなに素直だったのか。」驚いた僕です。

 

 

これから、彼の知られざる一面を僕たちは垣間見るのでした。

 

 

・お菓子、お菓子、お菓子が命。

・ゲーム、ゲーム、ゲームが命。

・だら、だら、だら慢性疲労のような彼。

 

 

しかし、しかし、しかし。

みんな勘違いだったんだ。

それはまた明日。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。    

アスペルガーな僕の会話練習 ヒロ

f:id:smilehousejapan:20170611114253j:plain

 

 

お世話している人をアメリカンボーイ とします。

理由はアメリカ、アメリカとうるさいくらいにアメリカ礼賛をするからです。

 

 

もう一度チャンスが回ってきた。

夕食時にみんなでご飯を食べに行った。

アメリカンボーイも会話の練習なのです。

 

 

アメリカンボーイはアスペルガーと診断されていますのでたくさんの人たちと一緒にいると自分のペースで会話をしてしまうので、みんなとうまくやっていけないのです。

 

 

だから、みんなと実際に会話をしている時に、「こういうふうに話せばいいんだよ。」と指摘します。

そういうことを積み重ねていけば、会話でみんなから変に見られることはなくなっていきます。

 

 

さて、僕です。

アメリカンボーイはいつも高いものを頼みます。

それで、いつも注文した料理が遅く出てきます。

 

 

今回も僕の注文が真っ先に来ました。

僕はその料理を受け取るやいなや、「食べる?」とその人に聞くと同時に、その人のお皿に料理を差し上げました。

 

 

思わずスタッフの顔を見ました。

ポーカーフェイスでした。

本当はいちいちスタッフの顔色を確認してはいけないんですけれどね。

 

 

食事が出揃ってから、会話が始まりました。

「北海道」の話題です。

話題の中心はもちろんアメリカンボーイが話すことです。

 

 

それを我々スタッフが広げたり、つないでいくのです。

映画の話題が出て、これからの上映作品のことに話題がなった時に、「トランスフォーマーは面白くないから、見ないほうが良い。」

なんていうことは言っちゃあいけないんだ。

 

 

 

「俺が面白くなくても他の人は面白いかもしれない。」

「俺が全てだ。」という「俺流マイルール」はダメなんです。

 

 

「北海道はなんでも美味しいな。」

「何が美味しかったの?」

「魚、最高。」

 

 

「どんな魚料理。」

「うーん、忘れました。でも美味しい。」

「北海道かあ、僕も一度行ってみたいな。」

 

 

「てめえ、そこまで人様に媚を売りたいのか?」

「でたな、ブラックヒロ!!」

「バカヒロ、お前は寒いのが大嫌いなはずだ。」

 

 

「悲しいね、自分の考えを曲げるのか」

「違うね。俺はお世話をしている最中なんだ。」

「その人に話を合わせるのが俺の任務なんだ。」

 

 

勝手にしやがれ、バカヒロ!!」

 

 

「雪が降ると、シーンとして、静寂が訪れるんです。」

「あの静けさが良いな。」

 

 

「うん、うん。僕もその静けさを味わってみたいな。」

「暑いのと寒いのどちらが好きですか?」

「中間が良いな。」

 

 

「僕もそうだ。」

「暑すぎると、汗をかいて、肌が荒れてしまう。」

とてもうんざりするな。

 

 

寒いとこれまたすぐに風邪を引いてしまうので、嫌なんだ。

「僕も、中間が良いな。」

「ヒロさんとは、話が合いますね。」

 

 

「フロリーダ!!」

アメリカに早く行きたい。

「そうだよ。アメリカ最高!!」

 

 

そういうと、突然踊りだした彼。

「えーい!!」

僕も一緒に踊った。

 

 

I LOVE AMERICA !!

 

WE LOVE AMERICA !!

 

 

こうしてフィリピンの夜は更けていくのである。

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。