兄弟の大変さをもっとクローズアップしていかないと。
俺は程度の悪いアスペルガーな男。
28歳だ。
俺の小さい時も同じく程度の悪いアスペルガーな子どもだった。
一番有名なエピソードは5歳ごろだったかな。
滑り台ですべる順番を待っていたんだけれど、前の奴がちんたらしていたんで、我慢できなくて、そいつの背中を力任せに押してしまった。
その子は顔面から地面に落ちたので、顔面血だらけになったらしい。
俺はそんなことはおかまいなしに、滑り台にライバルがいなくなったことに大喜びで、何度も何度も滑り台を滑っていたらしい。
俺は長男で、下に兄弟がいる。
よく怒られたのは、一緒に食事をしている時に、兄弟の分のおかずも奪って食べてしまうことだった。
だから俺だけ、別の部屋に監禁されて、そこで鍵をかけられて食事を食べさせられた。
テレビは俺がいつもリモコンを握っていた。
リモコンを手放した時、それは人生の敗北者にでもなるような感じだった。
小学生の時から母親に無理矢理勉強をさせられた。
手に鉛筆を輪ゴムでとめられた。
それが痛くてたまらなかったので、大声で叫んだりしていた。
中学になると、もう腕力では母親を超えていたから、大立ち回りを演じていた。
部屋の壁をボコボコにして、花瓶やテレビをぶち投げた。
窓からもいろんなものを投げたので、近所の人たちからいつも苦情が来ていた。
マンション内で近所の人たちから、兄弟に嫌がらせもあったらしい。
それでも俺は他の兄弟のことなんか何も考えずにただ、暴れていた。
俺の家に平和が訪れたのは、俺が16歳でサポートセンター名古屋にお世話になるために家を出た後だった。
長い戦時下で兄弟たちの疲労は頂点に達し、学校に行かなくなった。
いや、学校に行けなくなったと言う表現が正しいと思う。
そして、他人を怖がり、ちよっとした物音にも過敏になってしまったらしい。
俺は、兄弟たちの人生をも奪ってしまったんだ。
兄弟たちも俺と会うことを一切拒否している。
家族の中で、俺はもう死んだ扱いになっている。
だれももう俺の話題を出さない。
出さないためにも、俺の物を処分した。
小さい時の写真やおもちゃ、服一切が、大きなみかん箱に入れられて、サポートセンターに届けられた。
俺がしたこと。
取り返しのつかないこと。
悔いても何も変わらない。
もちろん、懺悔の日々を送るつもりだ。
この先ずっーとね。
みなさんに過ちを繰り返して欲しくないので僕は全国のお母様にお願いしたい。
僕みたいな大変なアスペルガーな子どもを持つお母様方へ。
いつも、大変なご苦労をされておられるでしょう。
子どもさんに成り代わって、「ありがとうございます。」と言わせてください。
そして、どうかそのような子どもをどこかお世話してくれるところにお預けになって、他のお子さんたちのケアーに努めてください。
他の兄弟たちは日夜大変なストレスにさられさています。
でもみんないい子なんです。
我慢しているんです。
その我慢はいつか、大きな爆破を生みます。
お願いします。
1日も早く、他の兄弟たちのケアーに取り組んでください。
僕の兄弟のように手遅れになる前に。
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