発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

犯罪を犯した僕が受けた回復支援 環境調整編 やす

 

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僕のような人たちが他にもいて、支援してくれる人や団体を探しているそうですね。

僕の母親も良い施設があると聞くと、北海道でもすぐに出かけて、見に行きました。

 

 

サポートセンター名古屋が良い施設なのかどうか?

言えることは、僕にはとても良かったということ。

 

 

僕には良くてもあなたのお子さんに良いかどうかはわかりませんので、どうぞご自分でお調べになって、ご自分の責任で、決めてください。

僕からのお願いです。

 

 

風邪をひいて寝込んでいました。

ヒロさんと東大さん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

 

 

僕は桜が好きなので、桜を見てからアメリカに渡ります。

たぶんもう日本に帰ってくることはないと思います。

自分で納得していますので問題はないです。

 

 

5年前にフィリピンに渡るときに、青木さんが色々と質問してきました。

 

 

苦手なものは何?  足がいっぱいある虫。

発達障害の子には虫が嫌いな人が多いらしいです。

 

 

食べ物で苦手なものは何?  脂っこいもの。

「フィリピンによくみられる屋台は古い油を使っているので、食べてはいけない。」と青木さんに言われました。

 

 

車のクラックションや大勢の人たちの会話の音は苦手ですか?

「うーん。わからない。」と答えました。

後で自分はとても苦手だということがわかりました。

 

 

 苦手な匂いはありますか? ダンボールが苦手。

外国製のダンボールには特殊なノリが使われているそうです。

あの匂いを嗅ぐと全身の力が抜けてしまう。

 

 

酢の匂いもだめです。

寿司屋には行きたくない。

 

 

あと砂場。

砂場に犬のフンがあって、それを見てとてもショックを受けた。

それ以来、砂場には近づくこともできない。

 

 

青木さんとの話し合いで、自分の苦手なことがいろいろと分かって良かったです。

 

 

それを元に青木さんはフィリピンで僕に合う環境を整えてくれたのです。

だからフィリピンの日々は僕には快適だった。

 

 

南国というと、見たことのない虫が大勢いて、そいつらと遭遇すると思っていたら、日本と同じくらい会わなくて済んだので良かった。

 

 

南の国にはジャングルがあるけど、ジャングルには絶対に僕を連れて行くことはしなかった。

 

 

それでもせっかく南の島に来たのでと、海沿いの高級リゾート施設に連れていってくれました。

とても良い雰囲気でした。

 

 

僕が泊まったコテージの背面には、木々が生い茂っていたので、青木さんとスタッフさんは、部屋のあちらこちらに虫避けを配置したり、網戸が破れていないかをとても入念にチェックしていました。

 

 

「そんなことするなら、日本で支援をした方がいいんじゃないですか?」と僕は青木さんに聞きました。

「その日本でいろいろな問題を起こして、居づらくなったので、ここフィリピンに来たんでしょ。」と言われました。

 

その通りだったので、もうなにも青木さんには言い返しませんでした。

 

 

食べ物は日本よりまずかったけど、まあまあ我慢できるものだった。

 

 

温度は日本の蒸し風呂のような暑さではなかった。

電気が足りていない国なので、毎日停電が数時間あったけど、ぼくの住んでいたマンションは停電がなかった。

 

 

ショッピングモールに歩いて行けて、とても便利な場所にあったけど、大通りから奥まった場所にあったのでとても静かだった。

 

 

そんなこんなで、僕にはとても快適な生活でした。

それがあったので、フィリピンでいろいろな活動ができたんだと思います。

 

 

環境を整えることはとても大切なことです。

 

 

明日は、僕が受けた3つの支援をお伝えします。

 

 

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僕が読んだ発達障害関係の本 東大

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サポートセンター名古屋で支援している<まる>です。

 

 

最近、東大さんの記事が少ないけれど疲れてやめてしまったのではないかというような問い合わせをいただきました。

 

 

元気にやっていますよ!!

そんな東大さんは本を読むのが大好きです。

 

 

サポートセンター名古屋は発達障害に関する書籍を毎月かなりの数、購入しています。

 

 

しかし、スタッフは目次を読んで気になったところだけ読んで、他のスタッフと共有する程度です。

書籍を読む時間が日々の支援の中で残されていないのです。

 

そんな中、比較的マイペースで読書に励んでいるのが東大さんです。

 

 

最近、東大さんが読んだ中での感想文をもらいました。

以下東大さんの記事です。

 

 

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        東大さんこと大野  56歳 FOREVER YOUNG !!

 

親子で向きあう発達障害
〜あなたはたまたま選ばれただけ〜
(植田 日奈 著)

臨床心理士である著者が『子どもの発達障害に不安を抱える母』に向けて書いた本。

 

今、巷にあふれる発達障害に関する知識やテクニックを身につけることではなく、四つの『マインド』を持つことを提唱している。『マインド』とは自分の子どもがどう成長してくれれば幸せなのか、ということを考えることでその四つは次の通り。

 

1)障害の特性がある、ないにとらわれず、その「程度」が問題であると知ること
2)特性にとらわれず「二次障害」を予防することに集中すること
3)子どもの将来の見通しを立てること
4)子どもがいつでも他者に助けを借りられる子になるように育てること

そのために大切なこととして子どもをよく理解し、

 

・できることの限界を見極め、時にはハードルを下げてあげることが必要。
・親が笑顔を絶やさないようにする。できないことはしない。親も他者、公的機関(療育など)に頼る術を知る。
・頑張ればいつか人並みになれる、親の死後自立できるんだ、という幻想は持たない。

 

感想

①想定される読者層は明らかに未成年、しかも小・中学生までの当事者の母親です。
文章は読みやすくその明快なアドバイスは希望を与えるでしょう。

ただ著者も少し述べているように親の方はよっぽど達観してなければ『普通」『人並み』という価値観をそんなに容易に捨てられないのではないでしょうか。

 

日本の社会に残る”画一性”とか”世間体”とか”差別”といった、独特の文化の問題もあります。

 

②生活上の困難さが克服できなかった上に周囲や家庭、特に親の理解が得られず叱られ、否定され続けた結果としての二次障害の厄介さを著者は強調します。
その改善には時間がかかります。

 

フラッシュバック、パニック、PTSDなどの体験の刷り込みは大人になっても残り、実際の回復過程で大きな障害になります。

 


この本を読んでこんなことを連想しました。

 

このような激しい二次障害を示す当事者の親が知的で社会的に高い地位にある人が多いのは偶然ではないのかもしれません。

 

言葉には出さなくても一般家庭より子どもへの要求が高く『人並み以上』を望みがちです。

 

子どもも親の期待に応えようと過剰に適応し必死に頑張った末にストレスとプレッシャーで、ある時激しい癇癪や暴力、奇行が現れます

 

こんな時、家族は「特に問題がなかったのになぜ突然こうなったのか?」と途方にくれるわけです。
後で考えると予兆のようなものがあったかもしれません。

 

③当事者の兄弟姉妹にも気遣いを。という部分は納得できました。目立たなくても発達障害の特性があり、当事者の変わりようにショックを受けた妹さんの精神状態が不安定になっているケースがありました。
もちろん定型発達の子でも平穏ではいられないでしょう。

④「必要な時に支援を受ける心の準備ができていることが凸凹を持つ子どもにとって一番大切なスキルだ。」とありました。
もちろん信頼関係があってこそですが。

 

一方大人の引きこもりに対してその『心の準備』をしてもらうことがどんなに大変か自らの体験、訪問の経験などから痛感しています

 

大人の当事者は言葉は悪いですが、もう若くなく希望を失っていますから。
だからこそ希望を実感してもらうことが大事だと思います。

⑤親の会について明言は避ているものの否定的なようです。
社会、制度、学校など個別の機関、人の悪口大会に終始しがちなことを苦々しく思っているように感じられました。

 

「他の子に目を向けず、自分の子どもがどう成長してくれることが幸せなのかを考えるマインドを大切にする。」
 これが著者のスタンスです。

 

 

サポートセンターが関われるのは義務教育終了後からのお子さんです。

何か心配ごとがあれば、一度ひなママさんに問い合わせてみたらいかがでしょうか。

 

 

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4年間ありがとうございました。さようならゴリ男。ヒロ

 

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発達障害が問題じゃないんだ。

発達障害の二次障害で不登校、ひきこもり、家庭内暴力自傷行為、反社会的行為なとがあると問題なのです。

 

 

僕は学校の勉強がわからなかった。

二桁の足し算、引き算が17歳までちゃんとできなかった。

 

 

日本語の敬語もうまく話せなくて、度々周りとトラブルを起こした。

 

 

身なりもちゃんとしていなかったから、学校ではみんなから距離を置かれた。

 

 

集団行動が苦手だったり、運動神経が鈍かったので、運動会や防災日には必ず、全校生徒の前で注意を受けました。

 

 

学校は好きだったけれど、もう怖くて通うことができなかった。

 

 

学校に行かなくて、家にいたら母親が、勉強しろと口うるさく言ってきた。

 

 

僕は勉強の仕方がわからなくて、勉強をしなくなったのに、なまけものだと思われた。

 

指に輪ゴムで鉛筆をくくりつけられたのはとても痛かった。

「お母さん、痛いよ。痛いって。」あまりの痛さに泣いたことを思い出す。

 

 

冬の寒い夜にパンツ一枚でベランダに立たされた。

「真面目に学校に行きますと言うまで中には入れない。」僕が泣きながら「真面目になります。」と言っても母親は部屋の中には入れてくれなかった。

 

 

中学卒業後はいろいろなところでお世話になった。

昨日そのことを書きました。

 

 

最後には、サポートセンター名古屋に流れ着いた。

でもそこでもやることなすこと、失敗ばかり。

もう疲れ果ててしまった。

 

 

そして、投身自殺を図った。

近くの釣り人に命を助けてもらった。

それから僕はフィリピンに流刑になった。

 

そこで、たくさんのフィリピン人スタッフと一人の日本人スタッフが俺のためについてくれた。

 

 

その日本人がゴリ男だ。

ゴリラに似ているからゴリ男。

俺の父親であり兄であった男。

 

彼がいてくれたからこそ、俺は今ちっとはましになった。

彼がいてくれたから、彼女ができた。

彼がいてくれたから大学を卒業できた。

 

 

先日の日曜日、朝食後。

「2時間後の便で日本に帰る。」と言った。

「ハゲに言われたの?卒業式には間に合いますか?」

 

 

「ごめんね、卒業式には出たいけれど、出られないんだ。」

「ええええ、どういうこと」

「明日日本に帰った後、田舎に帰って父親の後を継ぐことにしている。」

 

 

「ちよっと、どういうこと?この仕事やめてしまうの」

「何も聞いていないよ。僕が何か悪いことしたの?」

 

 

「いいや、父親が病気なので、僕があとを継ぐんだ。」

「いつそれは決まったの。」

 

 

「半年前だけれど、内緒にしていてごめんね。ヒロさんが不安になるといけないと思って言わなかったんだ。」

タクシー運転手が寮に顔を出した。

 

 

ゴリ男はスーツケースを手にして、寮の外に出た。

僕は何がなんだかわからないまま頭が混乱していた。

とにかく何か言わなくちゃ。

 

 

「言わせてください。5年間俺を毎日支えてくださって、本当にありがとうございました。」

「あなたがいてくれて、僕は今幸せです。」

そう言うのが精一杯だった。

 

 

「ヒロさんは頑張りました。私はあなたの頑張りに頭が下がります。」

「日本でまたお会いする日を楽しみにしています。」

 

 

ゴリ男はタクシーの車内で顔を伏せながそう言った。

 

ゴリ男を乗せたタクシーが小さくなるまで、僕は見続けた。

 

 

また会う日まで。

さようなら。

そしてありがとうごさいました。

 

 

 

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父との再開、7年目の真実 ヒロ

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      2011年父親がフィリピンまで会いに来てくれた。

 

 

俺はアスペルガーADHDと診断されている男。

15歳の時に診断されたんだ。

児童相談所につねづね父親は相談に行っていた。

 

 

なかなか支援先がなくて、父親は待てなくて、あちら此方に自分で出かけて支援先を探してきた。

 

 

お寺さんでは朝の修行が大変で、朝の修行前に寺を逃げ出した。

テレビを見てはいけないというのがとても我慢できなかった。

 

 

ドラゴンボールの再放送が俺の生きる糧だったからな。

服装は寺の服のままで逃走したので、直ぐに変質者ということで、誰かが通報してあえなく警察に捕まった。

 

 

NPO法人フリースクールみたいなところにも行ったな。

とても優しいんだよ。優しすぎるくらい。

だからきみが悪かったな。

 

 

そしてやったことがつまらなくて嫌になった。

囲碁、将棋、みんなで歌おう、クッキー作り、

フリースクールはクッキー作りがお好き?

 

 

ああああああ、思い出しただけで、イライラするな、未だに。

自分たちの価値観を押し付けるんじゃないよ。

何も分かっちゃあいないんだ。

 

 

「私たちはあなたたちの味方だよ。」

「学校に行かなくて正解。」

「ここがあなたたちの居場所。」

 

 

あああああああああ、もう。

俺は学校に行かなかったけれど、学校が嫌で行かなかったんじゃないんだ。

 

 

行きたてくても、いじめられるし、勉強はわからんし、集団行動ではいつも注意を受けていた。

 

 

俺は学校が怖かったんだ。

それなのに自分の考えで、みんなもそうだと思うんじゃあねえよNPOの理事長さんよ。

 

 

まあ過ぎ去ったことだから、もういいんだけれどね。

そんなこんなで大変だった。

でもおいらの家族は俺以上に大変だったんだ。

 

 

おいらに振り回された人生だ。

17の時かな、母親をひどく傷つけてしまい、入院させてしまった。

 

 

後で母親は命を取り留めたということは青木さんから聞いた。

それ以来、母親とは会ってはいない。

 

 

父親は7年前にフィリピンまで会いに来てくれたんだ。

父親はフィリピンに仕事の関係で寄る予定があったから。

ピザハットで午後の2時から30分だけ会った。

 

 

父親は言葉少なだったけれど、「自分の人生を支援者さんたちと切り開いていって欲しい。」と言った。

 

 

俺は、「いままで本当にごめんなさい。ゆるしてください。」と言いたかったけれど、言えなかった。

 

 

「本当に頑張って、勉強しているんだね。サポートセンターさんからの手紙を読んだんだ。お前が変わったということを聞いて、俺は信じられなかった。でも、今、お前を見てわかったよ。」

 

 

残り五分になって、店の外に出たら突然話し出した父親

 

 

「日本に帰ってきても嫌な思い出しかないし、周りも変な目でお前を見るから。そして母親はやはりお前とは住めないと言っている。ここで頑張るしかいんだ。」

そう言うと、俺をしっかりと抱きしめてくれた。

 

 

「お前のことを思わなかった日は1日もない。お前は私の大切な子どもだ。」

 

 

父は泣いていた。

ハゲも泣いていた。

フィリピン人スタッフたちも泣いていた。

 

 

俺は食べかけのピザが後片付けされないか心配で仕方がなかった。

「ちよっとピザをテイクアウトしてくる。」

そう言って店内に走った。

 

 

 

本当は涙を見られるのが恥ずかしかったから。

7年目の真実。

 

 

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特別支援教育ネットでの発表会があります。 ヒロ

 

www.youtube.com

 

 

やすさん、風邪をひいて寝込んでるそうです。

僕がピンチヒッターで本日は書かさせていただきます。

 

 

やすさんのブログ、大変素晴らしいと思います。

 

 

アスペルガーと診断を受けているそうですが、やっぱり色々と大変な状況がブログを読んでいて手に取るようにわかります。

 

 

最初にフィリピンで一年間支援を受けて、それで一旦日本に帰ってまたフィリピンに来てという繰り返しの中で、まあ状態は良くなられたということらしいです。

僕は知らないんです、この人のこと。

 

 

支援を受けている人同志、他の人たちの存在を知らないようにしているのですよ。

 

 

でないと嫉妬や、他者と比較したりして支援を受けるどころじゃないわけです。

 

 

やすさん、また体調が回復しましたら、僕に言ってください、ブログの順番をお渡ししますから。

 

 

さて、僕はこの3月31日に大学の卒業式があります。

4月1日からはサポートセンターの職員となります。

どうぞ宜しくお願いします。

 

 

期間は3年間です。

3年後には一般企業に就職する目標を持っています。

 

 

4月からは講演会や勉強会のために日本に帰ります。

いろいろな団体さんが呼んでくれて、僕に話す機会を与えてくれています。

 

 

ぼくはアスペルガーと診断されて、小、中と不登校

 

 

義務教育終了後は自宅にひきこもり、家庭内暴力で家族を傷つけました。

 

 

また、ストーカー行為や、その他の行為で警察に捕まり、一時は少年院送致にもなりかけました。

 

 

そんな僕が変わったのです。

できないことはまだまだたくさんあります。

コミニュケーションもところどころおかしくなって周りから変に見られる僕です。

 

 

でも絶え間ない練習の成果でできることも増えてきたんです。

 

 

僕の状況はかなり悪かったということです。

いろいろな支援団体や精神科のお医者さんにもお願いしたのですが、匙を投げられてしまいました。

 

 

しかし、僕に合わせた環境をつくり、その中でゆっくりと僕の気持ちを下げずに支援を続けてくれたので、僕は高校も卒業できたし、考えてもいなかった大学も卒業することができるまでになりました。

 

 

人は変われる。

僕のような状況でも変われたんだから、おかあさん、あなたのお子さんも変わることができるのです。

 

 

どうか、諦めないでください。

親御さんが諦めたら、お終いなのですから。

 

 

僕と一緒にお子さんの問題を考えていきませんか。

最後に言わせてください。

 

 

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ありがとうございました。

 

 

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新しい環境フィリピンで新しい人となる。やす

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      この映画を見ることが僕の最初の宿題でした。

 

 

フィリピンに行く前に青木さんから何度も言われたこと。

 

 

「今までのやり方が間違っていた。やり方を知らないから、いつも失敗をしてきた。」

 

 

「僕たちがうまくいくやり方を教えるから、信じてその通りにやってほしい。」

 

 

「君が今しなければならないことは僕たちを信じて、僕たちの言う通りにやり続けることです。」

 

 

僕は青木さんに聞きました。

「僕に拒否権はないのですか?」

「なんだか、僕は青木さんの操り人形みたいで嫌です。」

 

 

そう思っていたのですが、なんだか気づいたら青木さんに説得されていた僕がいる。

 

 

フィリピンパブというお店があって綺麗な女性がたくさんいると調べてわかりました。

 

 

それで青木さんに「フィリピンパブに行って事前に色々とリサーチしたいのですが?」

と聞きました。

 

 

「行くな。」との青木さんからの返事でした。

行きたいという気持ちが強かった僕です。

 

 

内緒で行こうかと思いましたが、毎日のように国際電話でフィリピンから青木さんが僕の携帯にかけてきたので、諦めました。

この時にすでに青木さんの魔法にかけられていた僕です。

 

 

フィリピンに行く機内で隣にフィリピン人の女性がいたので、テンション上がりまくりました。

とても綺麗な女性でした。

 

 

僕が早速覚えたタガログ語で話しかけたら、日本語で「あなたフィリピン人ですか」と聞かれました。

とても嬉しかったです。

 

 

それからフィリピンに着くまで、ずーっと話しかけ続けました。

 

 

その人はフィリピンパブで働いている人で、里帰りだと言ってました。

 

 

フィリピンについてから、最初に青木さんが言ったことは「積極的に話しかけることはとても良いこと。でも相手の顔を見て、嫌そうな顔をしたら、話し続けることはやめなさい。」です。

 

 

「嫌な顔ってどんな顔ですか。」と僕が聞きました。

青木さんは変顔をしました。

 

 

「それは嫌な顔ではなくて、変な顔です。」と僕は青木さんに言いました。

 

 

「そうか、これは変な顔なのか?」と青木さんは笑いました。

僕も笑いました。

 

 

僕は思い出し笑いを続けていたので、青木さんは手を叩いて「笑うのはもうおしまいです。」と言いました。

やはり僕の操り人形化は着々と進んでいるようでした。

 

 

空港に着くとめちゃくちゃ綺麗な女性が僕を迎えに来てくれていました。

僕は驚いてしまい、フリーズしてしまいました。

 

 

動けなくなってしまうのです。

時々あります。

 

 

青木さんは事前に母親から僕に関してのことを徹底的に調べあげていたんだと思います。

フリーズする横で、水を飲んで佇んでいました。

 

 

僕のフリーズが溶け始めた頃、「WELCOME TO PH」と言って笑いました。

僕も少しだけ笑いました。

 

 

僕は新しい世界に来たのです。

もう警察のお世話になるのは嫌です。

新しい人に僕はなりたいと心の底から思いました。

 

 

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フィリピンで再起を図る僕 やす

 

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母親と話し合った。

 

 

母親は「やはり日本国内にいてはダメだ。将来が台無しになる。」と言った。

 

 

「沖縄とか北海道ではだめか。」と聞いたが、「国外に行くしかない。」と言われた。

 

 

「じゃあ、どこに行くんだ。」と聞いたら「アフリカに一緒に行こう。」と言われた。

 

 

警察官からは「地元にいると色々と問題を起こしてしまうので違う場所に移ることを母親と話してみてはどうか。そうしないと君の将来に傷がついてしまう。」と言った。

 

 

僕の頭は混乱していた。

何も考えられなくなっていた。

むしゃくしゃしたので、外に出た。

 

 

「どこに行くの?」と母親が僕に声をかけた。

母親は走って僕の後をついてきた。

 

 

「お願いだからもう他の人に迷惑をかけることはしないで。お願いだから。」と泣きながらすがるように僕に話しかけた。

 

 

僕も泣いた。

しゃがんで泣いた。

そして僕はその時決心した。

 

 

日本から出ることを決心しました。

母親とアフリカに行くことを決心しました。

 

 

決心してアフリカでボランティアをしている人とお会いしました。

そして色々とお話を聞きました。

とても優しく色々とお話ししてくれました。

 

 

でも僕にはとても難しい。

アフリカで生活していくことはできないと感じました。

 

 

そんな時に、青木さんのことを思い出しました。

青木さんと、母親と僕の3人で会って色々と話し合いました。

 

 

母親には席をはずしてもらって、青木さんと二人で色々と僕の悩みを話しました。

その時に話してくれたことで覚えているのは2つです。

 

 

1、「何が良くて何が悪いのかを毎日の暮らしの中で身につけていかなければならない。5年ぐらいはかかる。」

2、「女性との付き合い方を学ぶ。」

 

 

そしてもっとも僕が関心を寄せたことは、菜々緒似の女性がフィリピンにはいるということです。

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          ヒロさんで言えば18号です。

 

最近の国際美人コンテストでも2回も優勝するくらい綺麗な人がフィリピンには多いのです。

 

 

それを聞いて、僕はフィリピンに行くことを決めました。

 

 

行くまでの間、朝から晩まで一日中タガログ語を必死になって話す練習をしました。

 

 

近くの教会にフィリピン人の人たちがミサで集まっていると聞き、僕も教会のミサに行って、話し相手になってくれるように頼みました。

 

毎日、フィリピン人の人たちと話す練習をお金を出してすることにしました。

 

 

3人のフィリピン人の女性と朝から晩まで一日中話すスケジュールを無理を言って組んでもらいました。

 

 

それとフィリピンの地図を青木さんからもらって暇があったら見続けて、頭に焼き付けました。

 

 

僕がフィリピンに行くまでに一ヶ月近くかかりました。

後になってわかったんですが、青木さんたちが僕のために環境を整えてくれていたんです。

 

 

そして僕の再起への道がこれから始まります。

 

 

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