発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

危険人物だからアメリカに行かされた僕。やす

 

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最初に書いておかなければいけませんでした。

僕はアスペルガーと診断されました。

中学の時です。

 

検査は吐き気がしました。

時間が長かったから。

 

 

警察官は色々と話してくれました。

僕がしている行為はストーカーということです。

 

 

そしてそのような行為を取り締まるためにストーカー規制法が出来ました。

 

 

「君みたいなことをしている人たちを取り締まるために法律があるんだ。」

 

 

「今のようなことをしていると君の将来がだめになる。」

「相手の女性が拒否をしているので、会いに行くこと、メールや手紙、電話をすることを止めないと、逮捕されて君の将来がだめになると言われました。」

 

 

その警察官とは気が合いました。

ところで君の彼女はどんな女性なんだと話しかけてくれたからです。

 

 

僕は、彼女の写真をアルバムにして、持ち歩くカバンに入れてありました。

 

 

それを警察官に見せたら、とても驚いていました。

じーっと眺めていたので、警察官も好きになったはずだとその時は心配しました。

 

 

それから僕はいかに彼女が素晴らしいかを説明しました。

そして、結論は「だからなんとしてでも彼女を自分のものにしたい。」と締めくくりました。

 

 

「もう一度、ご両親とじっくり話し合ったほうがいいね。」

迎えに来てくれた母親に挨拶をした警察官はそう僕に語ってくれました。

僕は母親と自宅に帰りました。

 

 

「どうしても、◯◯さんのことが忘れられんの?」

「無理だ。」と車中で吐き捨てるように母親に言いました。

 

「仕方がないから、アメリカに行くしかないね。」

「なんで、アメリカに行かなあかん。絶対に行かんからな。」

 

 

「アメリカはエイズとレイプが蔓延している危険な国なんだぞ。」

「そんな国に俺を捨てるのか。」

 

 

そう言うと僕は走っている車のドアを開けて、外に飛び出しました。

すごい早いスピードでコロコロと僕の体は転がっていったことは覚えています。

 

 

気づいたら病院にいました。

ドームの中に入って色々と検査をしました。

2日後退院しました。

 

 

僕はアメリカに行くことになりました。

アメリカに行く前に彼女に挨拶だけはしておきたいので、再び彼女の家にいきました。

 

 

呼び鈴を鳴らしても返事がなかったので、玄関の階段に座って30分ごとに一度呼び鈴を鳴らそうと、携帯のストップウオッチをセットしました。

 

 

20分したら、パトカーが来ました。

屋根の上のライトが消えていたので、仕事が終わってこれから警察署に帰るんだなと思っていました。

 

 

パトカーから警察官が降りてきて、僕は再びパトカーに乗りました。

 

 

走り去る車の後部座席で、後ろを向いて彼女の家を見続けました。

「出てきてくれ!!頼むから。」

 

 

心の中でそう叫んでいた僕がいました。

 

 

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彼女にまとわり続けて警察に捕まった僕。やす

 

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次の日、学校を休んだ。

 

 

夜に担任から自宅に電話があった。

珍しく帰宅していた母親が留守番電話を聞いた。

 

 

階下から僕を呼ぶ母親。

「何があったの?」

話す気持ちにはなれなかったが、話さないとしつこいので話した。

 

 

すぐに彼女の自宅に電話をしておわびする母親。

それと、次の日に勤務先の学校を休む連絡をする母親。

 

 

僕は一緒に高校には行きたくないと母親に言った。

もうその時点で高校は辞める気持ちが大きかった。

 

 

高校での担任との面談は学年主任と教頭まで揃っていたらしい。

午前中で担任との面談は終わったので、母親は勤務先の学校に向かった。

 

 

「自宅に帰ってから詳しく話す。」と階下から僕への呼びかけがあった。

 

 

その晩も珍しく自宅に帰ってきた母親。

キッチンで母親の報告を聞いた。

 

 

僕の元カノは僕が送ったメールのせいで、眠れないのと頭痛がひどくて学校を休んで、親戚の家で静養しているとのことだった。

 

「私の方から◯◯さんには丁寧に謝っておいたから、それとお前はあの高校を辞めて、アメリカに行きなさい。」と母親から一方的に言われた。

 

 

「このままだと、お前は何かしでかすかもしれないので、ここから離れた方が良い。」とも言われた。

 

 

そんな話より、親戚のところに行ったというのは嘘だと直感した。

 

 

自宅にまだいるはずだ。

そう思ったら、今すぐに顔だけでも見たいという要求が強くなった。

 

 

僕は要求が強くなると、そのことの奴隷になってしまうのです。

 

 

そして周りが見えなくなって、何が悪いことなのかもわからなくなってしまいます。

自分で自分を抑制することがとても苦手なんです。

 

 

その時はそういう自分の特性のことは何もわからなかった。

後でサポートセンター名古屋と出会って長い時間支援を受ける中でわかってきたことです。

 

 

彼女の自宅に行くしかない。

行って、会って話せば必ず僕たちは元に戻れる。

彼女が僕に言ったことを思い出して口に出してみた。

 

 

「あなたのことが好き。いつもあなたのことを思い出してしまう。」

何度も何度も自分で口に出して言ってみた。

 

 

そして僕は彼女の家に向かった。

彼女からもらった香水をたっぷりとかけて。

 

 

彼女の家の周りをゆっくりと眺めた。

彼女の部屋の明かりがついていた。

 

 

「やっぱりいるじゃないか、嘘をつきやがって」強い怒りが僕の全身を走った。

 

 

呼び鈴を鳴らすとお父さんが出てきた。

にっこりとして「どうした◯◯君。」と言った。

 

 

「◯◯さんは家にいますよね。明かりがついているから。」

 

「親戚の家で1ヶ月程度過ごさせるので、母親が服なんかを用意しているんだよ。」

 

 

「◯◯さんと会えますか。一度会って話せばお互い理解できるんです。」

 

「君の言う通りだよ。うちの娘も一度は君のことを好きになったんだ。でも今は君のことを遠ざけている。その理由が何か君にはわかるか。娘が君のことを恐れた理由だ。」

 

 

僕は父親の言うことが頭に入らなかった。

とにかく、彼女に触れたかった。

彼女の匂いを感じたかった。

 

 

「一度でいいので合わせてください。お願いします。」

「無理です。」と父親は言った。

 

 

僕の頭の中は混乱してしまっていた。

めまいがしたのでコンビニに行って、パンとジュースを買って店の外で食べた。

 

 

そうしたら、落ち着いた。

でもすぐに父親に対して強い憎しみが湧いてきた。

もう一度彼女の家に行った。

 

 

父親が出てきて言った。

「君にも娘とやり直すチャンスがあったんだよ。娘の手紙を読んで、娘との距離をおいていれば、娘の君に対する気持ちはまた復活していたと思う。」

 

 

「恋愛は押してばかりではダメなんだ。」

「◯◯さんと合わせてください。お願いします。」

「近所の目もあるんで、これ以上は君と話せないんだ。」

 

 

「これ以上君がここに来るのであれば、警察を呼ぶしかないよ。」

「そんなことはしたくはないけれど。」

 

 

も僕はそこから離れることができなかった。

「もしかしたら、この父親との会話の中で父親が僕を認めてくれたなら、元に戻れるかもしれない。」そう一縷の望みを託した僕です。

 

 

しかし、警察が来て僕はパトカーに乗せられて、そこから離された。

パトカーの中でも思うは彼女のことばかりだった。

 

 

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狂気と冷静の間の中で。やす

 

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その時の記憶は何度も何度もリフレインしていたから、覚えていた。

でも最近はリフレインがなくなってしまっていた。

それで、思い返してみても、自分の記憶があやふやとなっていることに気づいた。

 

長年の呪縛から解き放たれたのか。

何十回と昔のことを思い出しては整理する作業を青木さんと一緒にやってきた。

そのことで、区切りをつけることができたんだ。

 

最近、ブルゾンちえみwith Bにはまっている。

そのネタの中でも「35億。」と語りかける場面が好きだ。

そうなんだよ、笑っちゃうけれど異性は35億人。

 

www.youtube.com

 

5000万人とも語る。

それは恋愛対象人数なのか?

 

「次行こ、次。」BY青木さん

青木さんのセリフで僕が気に入っている言葉。

 

 

気づいたら、コンビニでパンとジュースを購入してその場で食べた。

 

 

しばらくコンビニの外で座っていた。

寒くなってきたので自宅に帰った。

 

 

その晩は眠れなかった。

何度も何度も彼女と撮った写真を見たり、彼女とのラブラブなメールを見返した。

「どうして !!??」

 

 

それしか言葉が思いつかなかった。

 

 

知らない間に寝てしまっていた。

 

 

両親はどうしていたのか?

父親は医者で自宅に帰ってきたり、来なかったりの毎日。

自宅でも僕と話すことはなかった。

 

 

今になってわかるけれど、父親も典型的なアスペルガー男だ。

避けているんじゃなくて、コミニュケーションの取り方がわからない。

 

 

そもそもコミニュケーションを必要としていないんだろうなとも思う。

医者ならそんなんでも務まるんだ。

 

 

母親は教師。

学校でも重宝されている感じ。

できる人なんだろうな。

 

いつも、いつも帰宅が遅い。

それで勤務校の近くにアパートを借りたりして家に帰ってこないことがあった。

母親も家庭的ではないね。

 

 

僕は祖母に育てられた。

そして祖母が亡くなってからぼくは一人になった。

その頃から僕の不安は増していったんだと思う。

 

 

言いようのない、不安と孤独。

だから、異性に恐ろしいほどの依存を求めた僕。

自分の思うように相手をコントロールしたい。

 

 

相手のことなんか何も考えていない、一方的な思い。

それは正しいことではない。

そんなことでは誰からも愛してもらえないんだ。

 

 

そう学んだ。

他者を通して学んだ。

学んだことで、僕は方向転換を図れたんだ。

 

 

向きを変えて、今歩み始めている僕がいる。

 

 

まだ僕の文章は終わっていません。

まだ続きがあります。

よろしくお願いします。

 

 

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彼女へのストーカー行為が始まる やす

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僕が書いた文章はたくさんの人たちが読んでくれたそうです。

サポートセンター名古屋の事務所にも僕のような状況の子供を持つご両親から電話でのご相談いただいたそうです。

 

それだけでも僕がこのブログを書いた意味があるのかと思っています。

わかっていますよ。

多くの人たちは僕のことを「頭がおかしい。」とか「犯罪予備軍」とレッテルを貼ろうとしている。

 

 

僕は混乱していた頭の中をサポートセンターの青木さんにきれいに整理してもらって、「今はまともになった。」そして「これからは同じ失敗はしない。」と思えるまでに今はなった。

ただ、それだけ。

 

続きを読んでください。

気分が悪くなったら飛ばしてください。

 

この文章は僕と同じようなお子さんをもってどうしていいのかわからなく、途方に暮れているご家族におくります。

 

 

 

なんとかゴールデンウィーク中にデートにこぎつけました。

 

 

初デートは天にも昇る気持ちでした。

それで色々と計画していたけれど、すべて吹っ飛んでしまった。

 

 

でも泣きたくなるほど嬉しかったですね。

彼女の反応もとても良かった。

 

 

帰宅したらすぐにまた彼女にメールをした。

深夜遅くまでメールをし続けた。

結局ゴールデンウィーク期間中何度もデートをした。

 

 

自宅ではデートで撮った写真をパソコンで整理して、次回会った時にプリントアウトしたりシールにして渡した。

すぐに生活すべてが彼女中心になっていた。

 

 

休み明けに学校に行くことがこれほど待ち遠しいことはなかった。

 

 

学校近くの駅で待ち合わせして、公園のベンチに座って、写真を渡したり、彼女にちょっとした物をプレゼントして渡そうと考えていた。

 

 

しかし、彼女は待ち合わせ場所には現れなかった。

病気?

忘れて一人で学校に行ってしまったの?

 

 

遅刻ギリギリまで彼女を公園で待ってから学校に行った。

教室に入ったらすぐに彼女の机を見た。

同時に彼女が僕の視界に入ってきた。

 

 

彼女は僕を手招きして、僕たちは廊下に出た。

始業のチャイムが鳴った。

 

 

「手紙を書いてきたので読んで。」と早口で僕に言って彼女は僕に手紙を渡した。

 

 

青い封筒に、何か冷たさを感じた。

始業チャイムが鳴ったが、我慢できずにトイレに走り、鍵をして、封筒を破いて中を見た。

 

 

その場に崩れ落ちた僕。

「別れましょう」という言葉だけが大きく見えた。

呼吸ができなくなった。

 

 

その他の文章を読むこともできずに、教室に戻った。

席についたら足が震えて震えて机が踊った。

手も震えてきて気が狂いそうになった。

 

 

家に帰ろうと思って、教壇の先生のところに行き、「気分が悪いので保健室に行きます。」と言ってカバンを持って、そのまま帰宅した。

 

 

数時間後自宅に電話が何回もかかってきた。

仕方がないんで、担任に、連絡もせずに帰宅したことを詫びて、「少し前から熱が出ていて、家で休む選択をした。数日休まさせてください。」と電話で話した。

 

 

その時点で、すでに彼女に30通近くのメールをしていた。

手紙の続きももちろん読んだ。

 

 

「勉強も部活動も一生懸命やりたいので、彼氏、彼女という関係ではなく、良い友達でいよう。」と書かれてあった。

 

 

ついこの前まで、「あなたのことが大好き。あなたしかいない。とても楽しい。」とか、言いやがって、俺を馬鹿にしていただけなのか。

夜を待って彼女の携帯に電話した。

 

 

着信拒否になっていた。

僕の怒りは頂点に達した。

「めちゃくちゃにしてやる。」

 

 

それで自宅に乗り込んだ。

呼び鈴を鳴らしたら、父親がでてきた。

 

 

「娘に勉強を教えてくれて、ありがとう。これからも良い友達関係でいて欲しいと父親の僕も思っている。娘はどうしても部活動をしたいと言っているので、理解してもらえないか。」

 

 

僕は黙ってその場を立ち去った。

 

 

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アスペルガーな僕が女性問題で高校を退学していく過程。 やす

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(僕はかなり正確に自分のしたことを書いています。)

(しかし、かなりの表現がスタッフによってブログにアップされる前に穏やかな言い方に変えられています。)

 

(なんか違和感を感じますけれど、過度な表現は慎むべきなんですね。)

 

たくさんの女性に囲まれて僕は幸せだった。

タイプの女の子が大勢いて一人に絞ることがとても難しかった。

とにかく大切なことは、人より先んじること。

 

 

急がないといけないと焦った。

ゴールデンウィークにはデート漬けの毎日を考えていた。

だから逆算して4月20日までには絞った一人に手応えを感じることが必要だった。

 

 

とにかく観察した。

どの子が良いのかを決めるために。

 

 

毎日寄せ集めた情報を自宅に持ち帰って眺め続けた。

その結果絞った女の子は菜々緒似の大人びた女子だった。

とにかくいかにその子に好きになってもらうか。

 

 

そのことが至上命令だった。

僕の父は医者だったから、「将来は医者にならないといけない。」

ということで、勉強会を一緒にしないかと誘うことを考えた。

 

 

誰でも高校入学後の最初の試験はとても不安なもんだと思ったから。

菜々緒似の女子とはクラスでの席は遠く離れていた。

 

 

とにかく、勉強面で目立たないといけないので、授業中はバカみたいに手を上げて先生からの「この問題解ける人は、えーっと?」ときたら「はい!!」と速攻で手を上げた。

そうこない場合は自分から手を上げて先生を質問攻めにした。

 

 

「キザなやろうか、あいつ面白い奴だ。」をクラスのみんなはどこで決めるんだろうか?

いつも、いつも、正解ばかりではたんなる嫌なやろうでしかない。

 

 

それでこの質問で、この答えを言ってわざと間違えることまでシナリオを作成した。

 

 

そのために取ったこと。

中3になってから、通っていた塾の先生に頼み込んで、自分の中学で希望校に進んだ先輩から教科書を譲り受けて中学校での日々の勉強の気分転換に徹底的に勉強した。

 

わからないことは塾の先生に聞いた。

高校受験後も猛勉強を続けた。

だから高校の授業が始まるまでには、国語、数学、英語、物理、化学においては教科書のほとんどは終わっていた。

 

 

高校生活では勉強に追われてはいけないんだ。

好きな女の子に勉強を教えるということを自分の武器にしないといけないと思っていた。

 

 

なぜなら自分の強みはそれしかないから。

 

 

運動は全くできない。

体力もない。

顔は平均以下。

 

 

そんな男がどうやって高校生活を戦っていくのか。

自分の強みを伸ばしていくしかないと思った。

それは自分にとっては自然なことだった。

 

 

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アスペルガーな僕が高校を中退したわけ やす

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異性で失敗しました。高校中退そして家庭内暴力に自殺未遂。これが僕。

 

 

 

この2年間サポートセンターの支援を受けて何を学んだのか?

簡単に言ってしまえば「自己理解」と「自己受容」です。

 

 

 

僕は小さい時から、みんなと一緒に何かをやるということがとても苦手な子供だったそうです。

 

 

幼稚園の時から、自分勝手な行動をして幼稚園の先生に迷惑をかけたと聞いていました。

親を呼んでやる劇でも、勝手に劇を抜け出して平気で、砂場で遊んでいたらしいです。

 

 

小学校でもそれは同じで、集団でする行動が大嫌いでした。

みんなと合わせることができなかったのです。

 

 

でも勉強は好きで、どの教科もパズルを解くような感じで、ワークブックなんかを学校でもらうとすぐにやってしまったことを思い出します。

勉強はできた方です。

 

 

学年が進むと、「自分の思うようにやってはいけない。」ということを頭で理解できるようになっていました。

でもそれは我慢していただけなのです。

 

 

中学は最悪で、僕の我慢は限界に近かったです。

それでいやな行事は休んだりして何とか中学を終わることができました。

それは、僕の担任達がすごく理解がある人だったからです。

 

 

ある教師は僕と同じタイプのお子さんを持っていて、そのお子さんから色々と学ぶことができた為に僕への接し方も少しはわかっていたと母に言ったそうです。

 

 

しかし、僕の中のみんなと合わせていくということに対する辛さは年齢が上がっていくにつれてとても大きくなっていきました。

 

 

高校は期待しましたよ。

色々と期待しましたね。

「恋愛」とか「恋愛」とか「恋愛」ですね。

 

 

僕は異性がとても大好きで、(まあ仮名だから正直に書けるんですけれど。そういう意味で、ヒロさんが自分の本心を写真入りとほぼ実名で書いていることが理解できませんね。)

 

 

だから高校にはとても期待した。

でも僕は高校1年で中退した。

不安が強くなって行けなくなりました。

 

 

理由。

「異性がらみです。」

 

 

僕が行った高校は歴史がある高校で、勉強もできるし、部活も私立を抑えて優勝する部があったり、文化部の連中も新聞社から表彰されるという信じられない高校でした。

 

 

そして、大学進学に関しても県下トップクラス。

僕も勉強と「恋愛」と「恋愛」に頑張ろうと思いました。

 

 

でもクラスの異性からとても傷つけられました。

 

 

とにかく消極的になってはいけないと、1年の新学期から、同級生の中から自分のタイプの女の子を見つけて、徹底的にマークしていこうと決めていたんです。

 

 

マークした女の子は同じクラスで10人でした。

隣のクラスにもタイプの子がいたりして、頭が爆発しそうでした。

 

 

それで、自分で生徒手帳に好きな女の子達の名前と特徴なんかを書き記して管理していました。

 

 

そんな僕は大失敗をしてしまいます。

明日にそれを書きます。

 

頼まれたので、適当にサポートセンターのことをよいしょする文章を書いておけばいいんだろうと思っていました。

 

 

でもこうやってもう一度昔のことを思い出して整理していくと、ちゃんと書きたくなりました。

 

 

明日も書きますので読んでください。

ヒロさんが、「僕の文章は分かりやすくていいな。」と青木さんに言ってくれたそうです。

 

 

優しい人なんですね。

ありがとうございます。

 

 

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サポートセンターを卒業します。感謝!! やす

 

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この2月でサポートセンター名古屋での2年間の英語学習とソーシャルスキル訓練を終了した、やすと言います。

25歳です。

 

 

1週間前に青木さんから、終了ということで何か書いてほしいと言われました。

 

 

文章が下手なんで断ったんですけれど、スタッフが手直しするから大丈夫ということでした。

断りきれなくて書いてみます。

 

 

明日、フィリピンから日本に一時的に帰国して、次のアメリカに向けて準備します。

今日1日でこの国ともおさらばです。

 

 

フィリピン人スタッフにはお世話になりました。

母親で姉で時にはガールフレンドのようにしてくれて、僕に自信を与えてくれました。

このことは一生忘れないほど感謝しています。

 

 

人間付き合いがとても苦手でした。

そんな僕が少しは自信がついて積極的になれたのは、とても嬉しいです。

 

 

本当は3、4年ソーシャルスキルの練習をしないと、社会に適応できないと最初に言われました。

 

 

でも、僕は日本で生きていくのは今後も無理だと思っています。

海外に活路を見出したんです。

だからいいんです。

 

 

フイリピンという国は最悪です。

 

 

飯はまずい。

小さなスーパーの店内で食べる飯よりもっとまずい。

 

 

日本の有名飲食店がマニラにも多数ありますが、全て味は違います。

食べれたもんじゃない。

 

 

 

騒音半端ない。

人がめちゃくちゃ多いですよ。

電車の運行時間はない。

 

 

公共窓口に行っても、ガム噛みながらとかメールしながら仕事をしている。

 

 

それがここフィリピンだ。(マニラに関してで、ヒロさんの住む場所とは大きく環境は違います。BY スタッフ)

まだ当分日本は安泰だと思いますよ。

 

 

そんな嫌な国からおさらばできるので、今はテンションが高くなっています。

 

 

しかし、僕はとても良い経験をさせてもらったと思っています。

それは英語学校で出会ったアジアの連中です。

 

 

貧しい中、働きながらお金を貯めて、英語を学ぶために来ている人たち。

 

 

みんな将来のことを語るときは、目を輝かせています。

自分の国は貧しいけれど、海外の大学を出て、祖国に帰って貢献したい。

どんだけ、自分の国が好きなんだ!!

 

 

僕は日本が大嫌いでした。

息苦しくて仕方がなかった。

だから、彼らの考え方はとてもインパクトがあったのです。

 

 

日本を離れて2年間です。

離れてみると、日本の良さが身にしみてわかってきます。

それと、問題は日本ではなくて、自分にあったんだ。

 

 

日本のここがダメだと大声を出すよりも、自分が変わった方が早いと言うことに気づきました。

このことは自分の人生の中でとても大きな気づきです。

 

 

もう1つの「変われ。」に関しても、考え方が大きく変わったのです。

明日、そのことを書きたいと思います。

 

 

発達障害な僕たちから」

僕は見ていませんでしたね。

当事者が書くブログなんて、社会や親、学校に関しての愚痴ばかりだから、見たくなかった。

 

 

でも、今回初めて色々と見させてもらった。

特に、ヒロさんの存在に驚きました。

 

 

思わず、「ヒロさんが書いていることはフィクションですよね。」とスタッフに聞き返したほどです。

 

(フィリピンに滞在して私たちの支援を受けている人たち。一人一人状況は違います。中には他の日本人との交流を断つ人たちもいます。やすさんも青木以外の日本人とは誰とも交流はありませんでした。)

 

 

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