支援計画作成中。Are you ready !!
《サポートセンター名古屋事務局から無料相談会のお知らせ》
2月度は2月18日(土)曜日から2月24日(金)曜日までで行いますので、ご利用ください。
期間中は朝10時より夜7時までの間で無料相談会をいたします。
場所は名古屋事務所(JR名古屋駅から徒歩10分)になります。
先着順ですのでお早めにお問い合わせください。
なお私たちでは支援ができない場合はお断りをする場合があります。
ご了承ください。
お問い合わせ番号 サポートセンター名古屋事務局 052-564-9844
またはyouthnagoya@gmail.com
お名前と住所(◯◯市)、ご本人の性別、年齢、どのような状況かをお聞きします。
またはメールにてお問い合わせください。
折り返し「カルテ」を送信しますので書き込んで送り返してください。
サポートセンター名古屋
タイからフィリピンに移動しました。
僕は2週間海外で過ごしてみて、海外でやり直すのか日本でやり直すのかをきめるお試しツアーに参加していました。
フィリピンに行ったらタイの大学生たちの言っていることが間違っていました。
「フィリピンは未開の国ではなく、バンコクなんかと同じくらい発展している国でした。」
人、人、人。車、車、車。
排気ガス、排気ガス、排気ガス。騒音、騒音、騒音。
マニラ空港から事務所まで距離にして40分くらいが5時間もかかってしまいました。
飛行機に乗って日本に帰る方が早いと思いました。
バンコクの渋滞もありえないと思いましたがでもフィリピンはバンコク以上でスタッフによれば世界で2番目の渋滞の酷さだそうです。
僕は名古屋市にあるサポートセンター事務所の近くのマンションに住んでいます。
それで自由時間には名古屋駅近辺をうろうろしていました。
最近名古屋駅近辺は多くの高層ビルが建ち始めています。
人口は増えていないのにビルばかりが建つのでたくさんのテナントはガラガラです。
だから僕にとっては安心できるスポットがたくさんできて、ゆったりとした町になりました。
でも深圳、バンコク、マニラと見て回って、日本が没落して行っているのがよーくわかりました。
どこもかしこも人が大勢いて、熱気に満ち溢れていたから。
名古屋がとても田舎に見えました。
僕はもっともっと落ちこんで、このまま海外で過ごすことが不安になり、スタッフに「どうしたらいいんでしょうか」と聞いたら、「最後は自分で決めなさい。」と言われました。
マニラにいたら僕の携帯にヒロさんから着信がありました。
ヒロさんは僕のことを心配していてくれて、色々と僕の話を聞いてくれました。
で、やはり最後は自分で決めないといけません。
その時思ったことは以下のことです。
僕は高卒認定試験に受かりましたが履歴書的には「中学校卒業」でしかありません。
18歳からすると6年間引きこもっていたことになります。
サポートセンターの期間もひきこもりからの回復期間と考えています。
そうするとよっぽど頑張らないとどこの会社も僕を必要としてくれません。
もちろんアルバイトならできます。
でもアルバイトをどれだけやってもその経験はその後に活かせないんですよ。
東南アジアの同世代の連中の情熱に驚きました。
ぼーっとしているとそのうち日本にいながら彼らに使われる立場になるでしょうね。
日本に住んでいながら外国人より生活状況は良くないっていうのも現実におこるなと思っています。
青木さんの知り合いにコンビニのオーナーがいます。
その人が言いました。
「日本の若い連中よりも外国人の方がもっとよく働く。」
日本人だから採用するなんて甘いです。
能力のある人を使うのが常識です。
だったら使ってもらえる様な人間になりたい。
だから日本から出て、違うコースを歩んでいくとか、何かこれから他の人たちと競っていく上で何か武器になる様なものを身につけないとやってはいけない。
僕はゲーマーなもんで、この考え方はとても共感できました。
ゲームでも武器を身につけて行かないとモンスターたちを倒して前には進めないんですよ。
丸腰だとあっという間にゲームオーバー。
さてどうすればいいのか、今も考えている最中です。
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こんにちは。
日本語教師をやっている者です。
(発達障害者の身内でもあります)
タイなどの「発展途上国」と呼ばれるエリアの若者からは、私も同じような質問を受けます。
彼らには「日本社会のプレッシャーは住んでみて共同体の一員にならないとわからないよ」と答えてます。
実際、夢と希望を抱いて来日して数年暮らした後、故郷に帰る外国人が大多数です。
その一方、日本社会が合わずに海外に出て、外国でのびのびできる日本人もいます。(知人の男性は色が白いという理由で日本では不当に扱われ、ブータンでは高く評価され、現地で家庭を築きました)
タイや中国で、日本で一旗揚げようというパワフルな若者を見ると圧倒されてしまいますが、彼らは本国でも特にエネルギッシュな人達です。スタンダードではありません。
個人的には、海外でひと休みする、海外に活路を求める、という方法は間違ってないと思います。
3日前の記事にコメントをもらった。
もらってみてうれしかった。
とてもとてもうれしかった。
マイノリティさんありがとうごさいました。
「大丈夫だよ。あなたの感じていることは間違いじゃないよ。」
背中を押されている感じがした。
なんだろう。ひとの優しさを感じた。
すぐに青木さんにそのことを知らせた。
青木さんからすぐに電話が来た。
「いいね。ブータンの話はいいよ。ブータンでは色白が高く評価されてるんだね。」
「そのことで、その人は自信を持ったんだね。すごくいい話しだ。すごくいい例だね。」
「ありがたいコメントだね。」と1人でえらく盛り上がって電話を一方的に切られた。
俺の話を聞かねえのかよ!!
有名な大学や有名な会社、高給取り。
「そうでなくてもせめて人並みになって欲しかった。」と俺の母親は何度も何度も俺に言ってきた。
「近所の◯◯君は東京の大学を卒業して地元のどこどこに入社して・・・・・・。」
「お前の小学校の時の同級生の◯◯君、覚えているか?アメリカの大学を出て向こうで彼女も作って、就職して今孫が2人もいて・・・・・・」
「叩き殺すぞ!!糞婆。死ねよ。死ねって言ってんだろ。」
昔の俺なら、母親のその言葉がきっかけで暴れて警察沙汰だな。
今は違うよ。
今はあまり怒らなくなった。
イライラしたら、自分の頭を壁にぶつける程度。
俺の頭が痛いだけで、だれも傷つけてはいないから。
俺は希望を見つけたから。
そう言うと偉そうに聞こえるけれど。
なんか大丈夫なんだと思っているな。
その根拠は何なんだって言われると、具体的には何もない。
でもこのまま日本にいてはもうだめだと感じた俺は、狭い日本を出て、外でもう一度やり直してみたいと思っているんだ。
だれも俺のことを知らないそんな場所なら、今からでもやれる気がする。
あせってはいるけれど。
ただそれだけのこと。
自分はまだやれると思っている。
「自分に納得できるほどやったのか?」と青木さんに言われた。
「何も俺はやっていない。」
1人で不安になって、1人で傷ついて、1人で暴れて・・・・・・。
要は1人芝居の馬鹿野郎でした。
今はコーチがいるから。
自分では自分のことが何もわからなかったけれど、今はコーチがいて今の俺がどうなのかを教えてくれている。
そのことはとてもとても大きなことなんだ。
手取り足とり教えてくれる。
いいんだ。それは俺にとってとてもいい。
1000字の約束は難しいな。
それとこのブログはいつどんなタイミングで終わればいいんだ。
何も聞かされていない。
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